ともしびの花 ~日河 翔の創作手帖~

作品のお知らせや創作活動に関すること、訪ねた寺社の紹介などを綴っています。

京都ゴミ拾い記【1】〈不定期〉


こんにちは、日河  翔です。

 

歩道のゴミ拾いを始めてから、四年目に入りました。

前職場に勤めていた頃は、本当に時間に余裕のない生活だったので、足下を見る心の余裕がまったくありませんでした。

ゴミが落ちていたのか落ちていなかったのか、記憶にないどころか視界に入っていなかったのでしょう・・・。


職を辞してからは、歩きながら空を見上げたり、木や花に視線を向ける心の余裕が生まれたのですが、足下に落ちているゴミも気になり始めたというわけです(笑)。

一度目にしてしまうと、厄介なことに「見て見ぬふりをしている自分」にも気づいてしまいます。

・・・・・・以前は時間的にどうしようもなかったけれど、今は近所のゴミ拾いくらいできないのだろうか。

そう考え、何か行動してみようという思いに突き動かされた結果。

とりあえず気になったゴミは拾えるように、まずは火ばさみを購入してみました。

 

心にゆとりができたとはいえ、充分な執筆時間を確保できる生活でもありませんので、「ゴミ拾いに専念する時間」を捻出しようとすると、ゴミ拾いに出かける回数はぐっと減ってしまいます。

しかし、ゴミ拾いを意識すると、途端に歩道のゴミがクローズアップされるという不思議。

無意識に目でゴミを追ってしまうのです。

この現象、思い当たる方も多いのではないでしょうか?

今や道を歩いていても、街路樹の枝先にほころぶ花より先に、ゴミを見つけてしまいます。

これがゴミ拾い最大のデメリットですね。

 

さて。

ゴミ拾いのために時間を作るのではなく、外へ出る時に火ばさみとゴミ袋をセットにして携帯し、歩きながら目の前のゴミを拾えば、それほど時間はかからないのではないかと思い立ちました。

正直に言うと、最初はとても恥ずかしかったです。

なぜなら・・・袋からはみ出た火ばさみを持って、電車に乗っている人。今のところ、まだお見かけしたことはありません。

 

しかしそれは結局、自分自身の問題でした。

最初は周囲から見られているような感覚がしていましたが、徐々にゴミ拾いに慣れてくると、それがほとんど気のせいだということが分かりました。

道行く人々は案外、周囲を見ていないようです。かつての私のように。

堂々と火ばさみを手に提げて拾い回っても、自分が空気と化して景色に溶け込んでいる感覚。

これにすっかり慣れてしまってからは、私も周囲をまったく気にしなくなりました。

 

ゴミを拾っていると言っても、自宅から目的地までの間、目についたゴミだけ拾うスタンスですので、町全体の美化にはほど遠い「気も心」というレベルです。

特に繁華街に近い通りでは、数時間後には新しいゴミが落ちています。

いや数時間どころか、15分後に落ちているのを見た時は、さすがにげんなりしました。

人通りが多い場所だから、そんなものでしょうか・・・。

 

ある時、通りすがりの方に声をかけられました。

最近は門掃きをする人が減ったのかな、といったことを口にしておられた記憶があります。

そんなことはないと思いますと否定しておきましたが、それ以降、もう少し気をつけて道を見るようになりました。

たいていの民家や店舗、マンション、ホテル、商業ビルは、朝か夕方に敷地周辺を掃除していらっしゃると思っています。

門掃きをしているところに出くわしたのは数回ですが、もし門掃きをまったくしていなければ、道のゴミはこんなものでは済みません。

 

外国人観光客の方が「ゴミ箱がほとんどないのに、日本の通りはほぼゴミが落ちていなくてキレイ」とWebで発信していらっしゃるのを時々拝見しますが、逆に「日本の通りは聞いていたよりもゴミが落ちていて、それほどキレイではなかった」というご意見もお見かけします。

実際のところは、その道を目にするタイミングによるのでしょうね。

ひとかけらのゴミも残さないように拾い尽くしても、数時間後に同じ道を通ると、元の20%程度のゴミはまた落ちています。

「いつ、そこを見るか」によります。

地域によって頻度は異なるでしょうが、『日本全国どこでも、門掃きは今も変わらず行われている』ことを、あえて書き記しておきたいと思います。


時折、何のために自分はゴミを拾っているのだろうと考えることがあります。

単に気になるという、潔癖性に近い感覚によるものなのか?と。

おそらくそのとおりなのでしょうが、町の美化というよりも防犯に主眼を置いているためかもしれません。

「割れ窓理論」の実践をしてみようかと思っています。

軽犯罪の取り締まり強化と比べると、ゴミ拾いの防犯効果は薄そうではありますが・・・。

それでも拾わないよりはましだと思い、地道に拾い続けています。

そして、もっと突きつめると「見て見ぬふりをして、通り過ぎるのが嫌だから」という理由に行き着きます。

ゴミが視界に入っても、目を逸らして通り過ぎていかなければならないのは、落ち着かないものです。

一度拾ってからは、余計にその感覚が強くなりました。

 

ゴミ拾いをしていると、時折、労いの言葉を頂くことがあります。

その通りの近くにお住まいの方。

工事現場の警備員さん。

観光客の方々。

近づいてきた観光客の外国人女性に、「アリガトウ」とお辞儀をされた時には驚きました。

とっさに会釈はしたものの、「You're welcome」と口にする前に女性は立ち去ってしまいました・・・。

外国の方に限らず、声をかけて頂いた時に、何か発声できるようにしておかなければと反省した一件でした。

ゴミを拾っている時は没頭してしまうので(短時間で、しかも拾い残しがないようにという方針であるため、かなり必死です。目が血走っているかもしれません)、ふいにお声がけ頂くと、我に返るのが遅れる時が多々あります。

それでも、ちょっとしたお声がけに心が温まりますので、感謝しております。

 

周囲に人がいてもいなくても、昼間でも夜でも関係なくゴミを拾う日々。

さしずめ、町の黒衣(くろご)とでも申しましょうか。

普段歩く速度に比べると時間がかかりますが、座禅を組んでいるかのような「無」の境地を味わえる気がしますので、ゴミ拾いをぜひおすすめいたします!

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

くれなゐ君: 上巻

くれなゐ君: 上巻

Amazon
くれなゐ君: 下巻

くれなゐ君: 下巻

Amazon

 

『 詩集 砂の海 』

著者の闘病期のピークであった19歳から22歳の詩を中心に、17歳から23歳頃までの作品から73編を収録しました。

生と死のはざまで見上げた空の色。
当たり前のことなど何一つないからこそ、届けたい言葉がある。

著者が紡ぐ物語の、原点とも言える詩集です。

『当時私は仏典に惹かれ、玄奘や法顕などの求法僧に共感を抱いておりました。
とりわけ、十七年にも及ぶ命がけの旅に出た三蔵法師・玄奘の存在は、憧れでもありました。
玄奘が辿った中央アジアの旅路を、闘病の日々に投影していたのでしょう。
また、郷土史に心を寄せるあまり、若くして命を散らせた方々の想いに同調し、輪廻というものにとらわれていた時期であったとも言えます。
私が作ったつたない詩は、失われた小さな物語と幻のようにかすむシルクロードに、自分の困難を重ね、乗り越えてゆく強さを探し続けた歳月そのものです。

自分の詩に、人の心を慰めたり寄り添ったりする力があるとは、決して思いません。
全く同じ環境、同じ病状でない限り、本当にその人の苦しみを理解することはできないでしょう。
しかし、困難な道を一人で歩いているあなたに、これらの未熟な詩を届けたいのです。
何もできないことをもどかしく思いますが、それでも、懸命に今を生きるあなたのために、私は種をまきたい。
あなたの歩く道に、いつも野の花が咲くように――。

あなたはきっと、自分自身の「砂の海」を越えてゆける。
そう信じて、これらの詩をあなたに捧げます』

(前書きより抜粋)

詩集 砂の海

 

本の体裁と価格


こんにちは、日河  翔です。

 

現在執筆している作品は、今25万3千の地点まで来ました。

当初は2巻に分冊して出版する予定でした。

しかし、今や3巻に分冊したとしても、1冊あたりの価格が高くなってしまいそうな分量になり、ため息をついているところです。

いよいよ4巻分冊の可能性が見え始めました。

3巻に収まるように、物語全体を圧縮すればすむ話なのですが・・・。

できるかぎり、物語本来の分量で書籍にしたいというのが私の方針です。

物語を不自然に短くする必要のないことが、キンドル出版のメリットとも言えます。

私が公募には一切出さなくなった、理由の一つでもあります。

 

私にとって一番問題になるのは、ペーパーバックの価格です。

キンドルでは「最低希望小売価格」という、価格設定で下回ることのできないラインがあります。

書籍の価格を1,000円未満にするには、ページ数をおよそ145ページ以下に抑えなければなりません。

これは単行本サイズでも、文庫本サイズでも同じです。

145ページはさすがに薄すぎるので、残念ですが、1,000円未満という価格設定自体をあきらめるしかなさそうですね。

 

ところで、このペーパーバック仕様。

ハードカバーに慣れ親しんでいる方が初めてペーパーバックの書籍を手にすると、がっかりしたという声もよく聞きます。

確かに、表紙が薄いですから・・・。

その「ペーパーバック」タイプであるうえ、私は無名ですので、1,000円以上の価格で販売することがおこがましい気がするのです。

そうは言っても、『くれなゐ君』や『詩集  砂の海』の時は「最低希望小売価格」が1,000円を軽く超えていたので、どうしようもなかったのですが。

せめて、できる限り「1,000円」に近づけたいので、ロイヤリティを度外視して価格を設定することにしています。

 

価格に直結する「ページ数」を抑えるために、文字のサイズを小さくする・・・。

初めての出版では考えてみたこともありますが、今ではむしろ大きくしようと思っています。

『くれなゐ君』上梓の際は、文庫本を見慣れていたためか、文字のサイズはそこまで気になりませんでした。

しかし今は、もう少し字が大きい方が読みやすいと感じています。

じっくり見比べないと分からないぐらいの違いではありますが。

 

昨年の夏、そろそろ装画を依頼しておかなければ・・・と思いながら、冊数が確定していないので先延ばしにして今に至ります。

実は一時期、本当に迷っていたのです。

数巻にわたる本の表紙を、すべて同じものにするかどうかを。

1巻ごとにイラストを変えると、その分装画費用が高額になってしまいます。

私のように、海底にうずもれた無名の物書きの場合、出版するたびに赤字が膨らんでいくことになるのが現実です。

装画費用を捻出できなくなれば、最後は手作り感あふれる自作の表紙になるでしょう。

作品を読んでみようかなと思う気持ちが、ゼロを振りきってマイナスになることを、保証できてしまいます。

それを踏まえて考えると、1巻ごとにイラストを変えるという贅沢がゆるされるのかどうか。

表紙のイラストを一枚描いて頂き、背景の色だけ巻ごとに変えていこうかとも考えました。
かなり悩みましたが、自分が全巻買うなら・・・

やはり、色違いで同じ表紙より、1巻ごとに別の表紙がいい。

本棚に本の表紙を飾りたいから、本を購入する方さえいらっしゃいますので。

イラストレーターさんが丁寧に描いて下さった表紙なら、作品自体が喜んでくれるような気がするのです。

今回は、その贅沢を試すことにしました!

覚悟を決めて、近々イラストレーターさんへ打診しておきます。

 

作品中のどの場面を表紙にするかで、本の印象が変わりそうです。

1巻と最終巻はイメージを固めていますが、2巻あるいは3巻については迷うところですね。

ぎりぎりまで悩んでみます・・・。

 

来月になると、この作品を書き始めてから丸2年になります。

一文一文悩みながら手探りで進むスタイルでして、だいたい1ヶ月に1万字のペース。

自分の確保できる時間を考えると、これ以上はなかなか速度を上げられないのが現実です。

次の作品からは、歴史ファンタジーとライトな現代ものを、2:1くらいの時間配分にして、同時に書いていこうかと考えています。

両方仕上がりが遅くなってしまうというデメリットもありますが、気分転換にはなるので、挫折しにくいのではないかと思います。

自分に最も適したやり方が見つかるまで、試行錯誤ですね!

 

 

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

くれなゐ君: 上巻

くれなゐ君: 上巻

Amazon
くれなゐ君: 下巻

くれなゐ君: 下巻

Amazon

 

『 詩集 砂の海 』

著者の闘病期のピークであった19歳から22歳の詩を中心に、17歳から23歳頃までの作品から73編を収録しました。

生と死のはざまで見上げた空の色。
当たり前のことなど何一つないからこそ、届けたい言葉がある。

著者が紡ぐ物語の、原点とも言える詩集です。

『当時私は仏典に惹かれ、玄奘や法顕などの求法僧に共感を抱いておりました。
とりわけ、十七年にも及ぶ命がけの旅に出た三蔵法師・玄奘の存在は、憧れでもありました。
玄奘が辿った中央アジアの旅路を、闘病の日々に投影していたのでしょう。
また、郷土史に心を寄せるあまり、若くして命を散らせた方々の想いに同調し、輪廻というものにとらわれていた時期であったとも言えます。
私が作ったつたない詩は、失われた小さな物語と幻のようにかすむシルクロードに、自分の困難を重ね、乗り越えてゆく強さを探し続けた歳月そのものです。

自分の詩に、人の心を慰めたり寄り添ったりする力があるとは、決して思いません。
全く同じ環境、同じ病状でない限り、本当にその人の苦しみを理解することはできないでしょう。
しかし、困難な道を一人で歩いているあなたに、これらの未熟な詩を届けたいのです。
何もできないことをもどかしく思いますが、それでも、懸命に今を生きるあなたのために、私は種をまきたい。
あなたの歩く道に、いつも野の花が咲くように――。

あなたはきっと、自分自身の「砂の海」を越えてゆける。
そう信じて、これらの詩をあなたに捧げます』

(前書きより抜粋)

詩集 砂の海

今年の祇園祭の粽(ちまき)は・・・

 

こんにちは、日河 翔です。

 

今年は梅雨明けが早かったので、夏がとても長く思えました。

九月に入ってもまだまだ暑く、酷暑の夕暮れに赤とんぼの群れを見かけ、夜には虫の声が聞こえ始めると、ようやく秋の気配を感じることができました。

十月も半ばすぎてから朝夕肌寒くなり、短い秋を満喫しています。

 

今年の祇園祭は残念なことに、宵山にも巡行にも行けずじまいでした。

ただ、通りすがりにですが、本番直前で稽古中の祇園囃子を耳にすることができ、つかのま風情を感じました。

祇園囃子を乗せた夜風なら、蒸し暑くとも心地良く、楽しむことができました。

 

しかし、宵山に行く時間には恵まれなくとも、粽は調達しなければ!

書き添える必要はないのかもしれませんが、念のため・・・

祇園祭の粽は、笹の葉で作られた厄除けのお守りです。

食べる「ちまき」とは違います。

八坂神社の主祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、旅の途中で「蘇民将来」に宿を借りた説話に由来します。

蘇民将来子孫也」と書かれた護符を玄関に吊るすことで、疫病除けのご利益があるとされています。

 

さて、粽を一度玄関先に吊すと、毎年購入しなければならないと思ってしまうのが人情というものです。

昨年、巡行を一通り拝見して、後祭の山鉾について豆知識を得た私は、毎年違う山鉾で粽を買い求めたい!と思い立ちました。

後祭を担う山鉾保存会を応援したい、という気持ちが芽生えたのです。

一昨年、昨年は南観音山の粽。

今年はどこの粽にしよう・・・。

考えているうちに日が迫ってきて、結局迷っている時間がなくなりました。

歩きながら考えようと、ひとまず昨年の粽をお返しするため南観音山へ。

 

ちょうど屏風祭なので、目の保養をしながらを早足で向かいました。

屏風祭は宵山の期間中、山鉾町の旧家や老舗で美術品や調度品などを公開する行事です。

老舗の帯問屋、誉田屋源兵衛さんの前を通りかかると、今年も鯉の滝登りのタペストリーがそびえ立っていました。

縦10m、横5mくらいあるでしょうか。まさに圧巻、巨大な壁画のようです。

2008年に創業270周年を記念して描かれた、270匹の昇り鯉。毎年7月に描き足されています。見事の一言に尽きますね!

京都の画家、木村英輝氏の作品とのことです。

毎年見るのを楽しみにしています。

誉田屋源兵衛さんのタペストリ

 

誉田屋源兵衛さんは、黒主山のすぐそばにあります。

黒主山か鯉山のどちらかで購入しようとぼんやり考えていたのですが、いざ山鉾を眺めると、さらに迷ってしまいました。

黒主山

鯉山


考えながらそこを通り過ぎ、南観音山に到着。

昨年の粽をお返しし、美しい山鉾にしばらく見とれていました。

北観音山の粽はどうかと、少し足をのばしてみました。

南観音山

南観音山

北観音山

北観音山

 

大船鉾へ行く時間までは取れず、かといって浄妙山へ向かったり、役行者山へ戻るのもタイムオーバーとなりそうです。

これは当初の思いつきどおりにしようと、再び黒主山へ。

粽を購入した後、山鉾から覗く花盛りの桜を、大友黒主にならって眺めました。

黒主山の桜

 

黒主山は、謡曲「志賀」をモチーフにしています。

「志賀」では、時の帝に仕える臣下が江州志賀(滋賀県)へ山桜を見に行きます。

山中で出会った二人の木こりのうち、老人の方は山の神と呼ばれるようになった大伴黒主の化身でした。

夜桜の木陰で休んでいた臣下のもとへ、 志賀明神の姿となった大友黒主の霊が再び現れ、春を喜び聖代を祝って舞います。

その光景を思い描きながら桜を仰ぐと、いっそう美しく見えました。

 

粽そのものだけでなく、添えられた桜も魔除けになります。

二重の厄除けですね。

山桜の粽を玄関先に吊るして、この一年も無事に乗りきりたいと思います!

黒主山の粽

 

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

くれなゐ君: 上巻

くれなゐ君: 上巻

Amazon
くれなゐ君: 下巻

くれなゐ君: 下巻

Amazon

 

『 詩集 砂の海 』

著者の闘病期のピークであった19歳から22歳の詩を中心に、17歳から23歳頃までの作品から73編を収録しました。

生と死のはざまで見上げた空の色。
当たり前のことなど何一つないからこそ、届けたい言葉がある。

著者が紡ぐ物語の、原点とも言える詩集です。

『当時私は仏典に惹かれ、玄奘や法顕などの求法僧に共感を抱いておりました。
とりわけ、十七年にも及ぶ命がけの旅に出た三蔵法師玄奘の存在は、憧れでもありました。
玄奘が辿った中央アジアの旅路を、闘病の日々に投影していたのでしょう。
また、郷土史に心を寄せるあまり、若くして命を散らせた方々の想いに同調し、輪廻というものにとらわれていた時期であったとも言えます。
私が作ったつたない詩は、失われた小さな物語と幻のようにかすむシルクロードに、自分の困難を重ね、乗り越えてゆく強さを探し続けた歳月そのものです。

自分の詩に、人の心を慰めたり寄り添ったりする力があるとは、決して思いません。
全く同じ環境、同じ病状でない限り、本当にその人の苦しみを理解することはできないでしょう。
しかし、困難な道を一人で歩いているあなたに、これらの未熟な詩を届けたいのです。
何もできないことをもどかしく思いますが、それでも、懸命に今を生きるあなたのために、私は種をまきたい。
あなたの歩く道に、いつも野の花が咲くように――。

あなたはきっと、自分自身の「砂の海」を越えてゆける。
そう信じて、これらの詩をあなたに捧げます』

(前書きより抜粋)

長編小説執筆は、フルマラソン。


こんにちは、日河 翔です。

 

現在、細々と長編ファンタジーを書き続けております。

長編と言いましても、23万字くらいに収まりそうな作品です。

長編小説の文字数に定めはないようですが、だいたい12万字以上を指すことが多いかと思います。

短編小説は4千~4万字、中編小説は4万~12万字くらいでしょうか。

自分でも今まさに実感しているところですが、長編小説のハードルは確かに高いと思います。

単純に、ゴールが遠い。

それだけ膨大な時間がかかります。

物理的にはもちろんですが、心理的なハードルが高いのです。

 

執筆をマラソンに例えるとしっくりきます。

とりわけ長編小説は、フルマラソンの様相を呈しています。

このマラソンコースは山あり谷あり、障害物ありです。

今、コースの後半を走って(歩いて、とも言えるスピードです)いるところですが、おそらく誰の参考にもならないマラソン記録を、ここに書き留めておきたいと思います。

 

本文とは何の関係もないのですが、癒し(?)として花の写真を。帰省した時に、紫露草を撮ってきました。

 

参加者ゼロのマラソンコース。

誰かが一緒に走っていると、目標にして頑張れたり、心細さを紛らわせることができるのかもしれません。

しかしながら、前を向いても後ろを向いても、尾崎放哉の心持ちで・・・咳をしても一人。

マイペースで走るためにはちょうどいいのですが、いつでも脱落できるのが難点です。

そして私が完走しなくても、そもそも走らなくても、誰も困らないマラソンなのです。

 

ゴールが遠すぎて、スタートをきる勇気が出ない。

スタート地点をウロウロと徘徊する。

走ろうと思ったことそのものが間違いではないかと、自問する。

こうしてスタート地点の目前で、長らく足踏みをしてしまうというのが第一関門ですね。

 

とりあえず走ってみようと、のろのろと1万字。

スタート地点はすぐ後ろ。帰った方がいいかもしれないと、気になって何度も振り返ってしまいます。

2万字走ってみましたが、道が間違っているような気がして結局戻ります。

そして再スタート。

コースに道標はないので、少し走っては立ち止まって方位を確認し、大雑把すぎる地図を広げます。

3万字、4万字と進んでも、この道で合っているのか絶えず不安。

癒やしを求めて、物語の景色ばかりに目がいきます。

5万字になっても、まだ引き返せるのではないかと、往生際の悪いことを考えていました。

6万字あたりまで来ると、振り返ってもスタート地点が見えなくなっているので、もはや引き返せないと心細くなります。

前を向いて進むしかないというのに、遠すぎる道に立ちすくんで逡巡。

このあたりが第二関門でしょうか。

 

これも帰省した時に撮影した、今年の女郎花です。

 

 

ここからが、マラソンコースの正念場です。

「読まれない本に価値はない」

「誰にも読まれない作品は、存在していないのと同じ」

これらは、SNSでは時折目にします。

書き手の嘆きである場合が多いですが、読み手の言葉として見かけることもあります。

自分では気にしていないつもりでも、一番の障害物になり得るということを、今回身をもって知りました。

 

たとえ誰にも読まれないとしても、文学フリマさんがその定義としておられるように、「自分が文学と信じるもの」を出し続ける。

ただ、それだけのことなのです。

ご縁があれば、読まれることもあるでしょう。

 

自分の中で結論が出ているにもかかわらず、これらの言葉が目の前にくり返し現れるのは、やはり心のどこかに迷いがあるのでしょうね。

7万字書いても、8万字書いても、魔のささやきが度々聞こえました。

不毛な時間の使い方をしているのではないか、と。

9万字あたりがピークだったような気がします。

10万字を超えると、本当にわずかずつですが、自分の中の感じ方に変化が現れ始めました。

 

このコースを走り終えたら、休むことなく次のマラソンの準備を始めます。

同じコースを走ることは、もう二度とないのです。

そう思えば、一行ずつ手探りでゆっくり進む執筆スタイルについても、これでいいのではないかと感じます。

一歩ずつ大事に歩いた足跡が、形として残るのは、素敵なことなのかもしれません。

 

11万字、12万字になると、迷いを誘うささやき声が小さくなっていきました。

自分のために書こうとすると、1行も書けなくなってしまう性質なので、これまで作品自体の命のために書いてきました。

あくまで自分は黒衣に徹し、作品が命を得て自分の手から離れていくのを、ただ静かに見守るだけだと考えていたのです。

 

13万字を超え、もしかすると執筆は、自分自身の心を成長させる作用もあるのかと思うようになりました。

これは、思いがけないギフトでした。

膨大な時間を一方的に捧げるだけのものだと思っていたので、自分のためにもなるということに、何だか申し訳ないような戸惑いを覚えたものです。

14万字、15万字と進むにつれて、この思いつきは徐々に確信へと変わっていきました。

16万字にもなると、ささやき声はほとんど聞こえません。

ひたすら手足を動かして走って(ほふく前進して)いると、もはや自分の喘鳴しか聞こえないというのが実際のところです。

 

京都・三条烏丸の百日紅は見頃になりました。 

白や濃いピンクの百日紅も好きですが、こういう優しい色もいいですね!

 

 

これから長編小説に挑戦してみようかな、という方に対して言えるのは、10万字までは心理的に大変かもしれませんが、それを超えると心境に変化が生まれますよ、ということでしょうか。

 

コースの途中で脱落しないように、SNSでは1万字ごとに到達を書き留めています。

今どの地点にいるか宣言することで、退路を断っているつもりです。

撤退は自由だからこそ、何らかの対策をしておかないと確実に脱落してしまいます。

幸いブログやSNSで繋がって下さる方々による、温かい見守りのお陰をもちまして、未だに完走を目指して走ることができております。

(本当にありがとうございます!!)

 

先日17万字にたどり着き、淡々と18万字へ向かっています。

初稿を終えても、改稿と校正を始め、二稿、三稿、四稿・・・・・・と完走までの道のりはまだ遠いのが現実です。

「完走」と言えるのは、発売開始を確認した時点ですね。

次作に取りかかる前に、”ひとりお疲れ様会”をしようと、今から楽しみにしています。

実はお酒を一滴も飲めないので、カフェで甘い飲み物を。

甘党ではあるのですが、執筆や校正作業をする時は、甘みを加えないコーヒーだけ注文しています。

なので完走した時くらいは、甘い物を自分に許そうかと。

お読み下さっている皆様への感謝を込めて、ブログとSNSの画面上で、ささやかに「乾杯」できる日を楽しみに、たゆまず走り続けたいと思います。

 

貴重なお時間をいただき、目を通して下さってありがとうございました。

琵琶湖のほとりにて。松の木陰は風が吹き渡り、思いのほか涼しく感じました。

 

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

くれなゐ君: 上巻

くれなゐ君: 上巻

Amazon
くれなゐ君: 下巻

くれなゐ君: 下巻

Amazon

 

『 詩集 砂の海 』

著者の闘病期のピークであった19歳から22歳の詩を中心に、17歳から23歳頃までの作品から73編を収録しました。

生と死のはざまで見上げた空の色。
当たり前のことなど何一つないからこそ、届けたい言葉がある。

著者が紡ぐ物語の、原点とも言える詩集です。

『当時私は仏典に惹かれ、玄奘や法顕などの求法僧に共感を抱いておりました。
とりわけ、十七年にも及ぶ命がけの旅に出た三蔵法師・玄奘の存在は、憧れでもありました。
玄奘が辿った中央アジアの旅路を、闘病の日々に投影していたのでしょう。
また、郷土史に心を寄せるあまり、若くして命を散らせた方々の想いに同調し、輪廻というものにとらわれていた時期であったとも言えます。
私が作ったつたない詩は、失われた小さな物語と幻のようにかすむシルクロードに、自分の困難を重ね、乗り越えてゆく強さを探し続けた歳月そのものです。

自分の詩に、人の心を慰めたり寄り添ったりする力があるとは、決して思いません。
全く同じ環境、同じ病状でない限り、本当にその人の苦しみを理解することはできないでしょう。
しかし、困難な道を一人で歩いているあなたに、これらの未熟な詩を届けたいのです。
何もできないことをもどかしく思いますが、それでも、懸命に今を生きるあなたのために、私は種をまきたい。
あなたの歩く道に、いつも野の花が咲くように――。

あなたはきっと、自分自身の「砂の海」を越えてゆける。
そう信じて、これらの詩をあなたに捧げます』

(前書きより抜粋)

新作、地道に書いてます。

本文と何の関係もありませんが、花が好きなので自分で撮った写真を載せてみました。

 

こんにちは、日河 翔です。

 

創作に関することをブログに書いたのは、どのくらい前なのだろう・・・・・・。

ふと思いついて見返してみると、直近の記事は2024年8月でした。

ブログに割ける時間が毎月着実に減っているという、哀しい現実を直視することになりました。

 

ブログのタイトルを『創作手帖』にしていることですし、原点に立ち返って、これからは創作に関する記事を増やしていきたいものです。

 

 

2023年1月に『くれなゐ君』を、2023年10月に『詩集 砂の海』を出版してから、少し重いテーマを扱ったファンタジーを、細々と書き始めていました。

風景や人物が次々と見えてくる「見通しのきく」物語ではなかったため、手探りで悩みながらのスタートでした。

長いブランクを越えて書くのですから、途中で気持ちが挫けないよう、1冊で完結する12~15万字くらいの物語が適しているだろうと思っていました。

その「見えない」物語を1、2節書いたところで、気づいてしまったのです。

・・・・・・これは1冊では終わらない。

数の子供たちの成長を軸にしたものであるため、ストーリーを圧縮したとしても、数年間を描く物語になりそうでした。

短い作品に仕立てるため、様々な場面をカットすることが前提にせよ、きっと20万字を越えてしまうでしょう。

もし『くれなゐ君』のように7年かかるのであれば、一生の間に書き上げたい作品が大幅に減ってしまいます。

今後7年の間に挫折するという可能性も、頭をよぎりました。

やはり、最初は短い作品にしよう。

そう思い直して、その物語を棚上げにしました。

 

SNSを始めたことがきっかけで、花や草木、風景の
写真を撮るのがすっかり好きになってしまいました。

 

始まりと着地点が見える作品なら、きっと書きやすいだろうという安易な考えのもと、2024年4月ごろ再スタートを切ることになりました。

この作品は15歳の時に書きとめた構想でした。

年月を経て次第に色褪せていっても、消えてなくなることのなかった構想の一つです。

そういうものは、書き上げて終止符を打ってやらないといけないのだろうなと思っています。

ストーリー自体は数ヶ月~半年の期間を描いたもので、200ページは越えるとしても1冊で収まる内容のものでした。

 

構想と呼んではおりますが、実際には数行程度で、あらすじと言うのもおこがましいほどの代物。

今回はきちんとプロットを組んだ方がいいかもしれない、という考えが頭をよぎりましたが、やはり物語は生き物です。

綿密に練ったプロットでも、木っ端微塵にして動き回る性質を持つと思っています。

設定に使う時間を無駄にしたくなかったので、結局ほぼ何も決めず、何の資料も用意することなく突っ込むことにしました(無謀)。

 

メモを元に15歳当時の記憶を揺り起こし、できるだけ忠実に再現するつもりでした。

読者に次のページを開いて頂くため、動きのあるシーンから書き始めることにしました。

そして2節目に入ったところで、『違和感』発生。

理由は自分でも分からないのですが、何かが違う気がします。

物語が自分自身とはまったく別の命を生きる『生き物』であることを、実感するのはこういう時です。

強烈なブレーキがかかります。

「無理やり書いている」気がするということは、物語本来の姿ではないのでしょう。

できるだけ本来の姿を彫り出してやりたいと思うので、やむを得ず筆を置きました。

 

主人公の瞳に映っているのは、どういう景色なのか。

無心になって心の眼で眺めていると、やがて風景が見えてきました。

15歳の時には目の前の狭い範囲しか見えていませんでしたが、ぐるりと四方を見渡すと驚きました。

この国には、こんな風景があったのか!

今作以外では、もう二度と描くことのない景色です。

筆力不足で表現しきれないとしても、この風景を書き残したいと感じました。

 

冒頭が風景描写の場合、動きが出ないので読者が退屈してしまうことが考えられます。

今回の作品では、風景描写から始めるのを避けるつもりだったのですが。

結局試しに一行書いてみると、次の一行が見えてきました。

そしてまた一行書くと、次の一行が・・・・・・。

もしかしたら、これで正解なのかもしれない。

そう思って一行ずつ探りながら書いてみると、一年が過ぎていました。

 

一日のうち、執筆にかけられる時間は限られています。

架空の国を舞台にしたファンタジーとはいえ、地理や植生に不自然なところはないか調べるのも、その時間に含まれます。

スタートから半年を越えてなお、まったく執筆時間を取れない日がしばしばありました。

「当たり前のように書き続けること」が習慣になるには、結局一年かかりました。

 

5月に訪れた場所では、ラベンダーが満開でした。

 

2025年5月末で、16万字。

1冊で収まる内容のはずでしたが、省略すると不自然なエピソードもあり、やむを得ず最小限で書いていくと自分が決めた1巻の文字数を超えてしまいました。

今、2巻目の3分の1あたりでしょうか。

紙の書籍(ペーパーバック)1冊分の値段が高くならないよう、分冊して出版する予定です。おそらく2巻で収まるはず・・・・・・。

年内に初稿を終えたいところですが、焦りにつながりそうですので、「きりのいい時期」にこだわらずに書いていきたいものです。

 

お読み下さいまして、ありがとうございました!

 

 

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

くれなゐ君: 上巻

くれなゐ君: 上巻

Amazon
くれなゐ君: 下巻

くれなゐ君: 下巻

Amazon

 

『 詩集 砂の海 』

著者の闘病期のピークであった19歳から22歳の詩を中心に、17歳から23歳頃までの作品から73編を収録しました。

生と死のはざまで見上げた空の色。
当たり前のことなど何一つないからこそ、届けたい言葉がある。

著者が紡ぐ物語の、原点とも言える詩集です。

『当時私は仏典に惹かれ、玄奘や法顕などの求法僧に共感を抱いておりました。
とりわけ、十七年にも及ぶ命がけの旅に出た三蔵法師玄奘の存在は、憧れでもありました。
玄奘が辿った中央アジアの旅路を、闘病の日々に投影していたのでしょう。
また、郷土史に心を寄せるあまり、若くして命を散らせた方々の想いに同調し、輪廻というものにとらわれていた時期であったとも言えます。
私が作ったつたない詩は、失われた小さな物語と幻のようにかすむシルクロードに、自分の困難を重ね、乗り越えてゆく強さを探し続けた歳月そのものです。

自分の詩に、人の心を慰めたり寄り添ったりする力があるとは、決して思いません。
全く同じ環境、同じ病状でない限り、本当にその人の苦しみを理解することはできないでしょう。
しかし、困難な道を一人で歩いているあなたに、これらの未熟な詩を届けたいのです。
何もできないことをもどかしく思いますが、それでも、懸命に今を生きるあなたのために、私は種をまきたい。
あなたの歩く道に、いつも野の花が咲くように――。

あなたはきっと、自分自身の「砂の海」を越えてゆける。
そう信じて、これらの詩をあなたに捧げます』

(前書きより抜粋)

 

初めて祇園祭の巡行へ!(5)

鷹山の巡行

こんにちは、日河 翔です。

 

前回は『役行者山』の巡行までご紹介しました。残るは2台ですね。

役行者山に続いたのは、くじ取らず(巡行の順番があらかじめ決まっている山鉾)の『鷹山』でした。

『鷹山』さんは宵山にて、搭乗体験を行っておられます。

昨年、初めて上らせて頂きました。

有料なので(大人・子供に関わらずお一人500円で、子供は大人の同伴が必要です)、ご注意下さいね。

ゆらゆら揺れる階段がちょっと怖かったですが、手すりにつかまってゆっくり昇降すれば大丈夫です!

山鉾の上はこんなに高いものなのか・・・と実感できて、感動しました。

いつもの三条通が、何だか違って見えました!

鷹山の搭乗体験

 

御神体は鷹匠・犬飼・樽負の御三方で、光孝天皇の御幸で在原行平が鷹狩りをする場面が表されています。

巡行に参加していた歴史は、日本最大級の内乱である応仁の乱より古いのですね。

1826年(江戸時代)の巡行では大雨が降って懸装品を汚損してしまい、翌年から巡行に加わらなくなったそうです。

それ以降、御神体と懸装品をお飾りする『居祭』を続けてこられましたが、2022年から巡行に復帰しておられます。

 

 

大船鉾の巡行

 

最後は『鷹山」と同様、くじ取らずの『大船鉾』でした。

建立は1441年とされていますが、1422年には存在していたという説もあります。

1467年に起きた応仁の乱で焼失した山鉾はたくさんあり、『大船鉾』もそうでした。

乱から20年以上経って再興しましたが、江戸時代に入ると次第に華やかになっていきます。元は簡素でしたが、装飾されて囃子方も加わり、「船鉾」と呼ばれるようになったそうです。

前祭(さきまつり)に巡行する山鉾の中にも、『船鉾』という鉾があります。

 

大船鉾の御祭神は神功皇后です。

仲哀天皇のお后様で、応神天皇の母君ですね。

応神天皇を身ごもりながら海を渡り、新羅・高句麗・百済を平定したという神話は有名です。

山鉾の中で同じく神功皇后をお祀りしているのは、『占出山』と『船鉾』です。

戦の勝敗を占うために鮎を釣られた姿を表すのが『占出山』、出陣する船を表すのが『船鉾』、戦に勝って凱旋する船を表すのが『大船鉾』なのですね!

『船鉾』と『大船鉾』は名前が似ているので、恥ずかしながら今まで混同していました。

『船鉾』の御祭神は鎧姿、『大船鉾』の御祭神は鎧を脱ぎ狩衣姿です。

由来を知って納得しました!

因みに、渡海の無事を守るために『船鉾』には住吉明神・鹿島明神・安曇磯良の三神が合祀されているそうです。

『船鉾』の巡行もぜひ見に行かなければ、と思ってしまいました。


華やかになった『大船鉾』ですが、1788年の「天明の大火」で、神功皇后の御神面以外を焼失してしまいます。

1804年には再興されたにもかかわらず、1864年の禁門の変によってまたしても多くを焼失し、それ以降は休み鉾となりました。

巡行に参加しない間『居祭り』が行われていましたが、1995年(平成7年)にはそれも休止され、ご神事のみとなっていたそうです。

1997年(平成9年)以降、宵山の囃子や飾り席が、そして唐櫃による巡行が順に復興していきました。

2014年(平成26年)には後祭が復活し、この年の巡行から大船鉾は復興したそうです。

 

各山鉾の歴史に思いを馳せると、町衆の情熱に胸を打たれます。

まさに七転び八起き。

幾多の困難の中を、何度でも諦めずに立ち上がる。

巡行を見守っていると何とも言えない感慨を覚え、力づけられました。

 

気がつけば、もうすでに5月末。

「京都の夏」がすぐそこまで迫っています。

これから39度を超える灼熱の猛暑を迎えるかと思うと、気持ちがすくんでしまいそうですが・・・

それでも祇園囃子を耳にすれば、元気をもらえそうです。

今年の祇園祭では、また新たな発見に出合えそうな気がします。

今からとても楽しみにしています!

 

昨年9月から細々と書いてきましたが、お読み下さいまして本当にありがとうございました。

 

 

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

くれなゐ君: 上巻

くれなゐ君: 上巻

Amazon
くれなゐ君: 下巻

くれなゐ君: 下巻

Amazon

 

『 詩集 砂の海 』

著者の闘病期のピークであった19歳から22歳の詩を中心に、17歳から23歳頃までの作品から73編を収録しました。

生と死のはざまで見上げた空の色。
当たり前のことなど何一つないからこそ、届けたい言葉がある。

著者が紡ぐ物語の、原点とも言える詩集です。

『当時私は仏典に惹かれ、玄奘や法顕などの求法僧に共感を抱いておりました。
とりわけ、十七年にも及ぶ命がけの旅に出た三蔵法師・玄奘の存在は、憧れでもありました。
玄奘が辿った中央アジアの旅路を、闘病の日々に投影していたのでしょう。
また、郷土史に心を寄せるあまり、若くして命を散らせた方々の想いに同調し、輪廻というものにとらわれていた時期であったとも言えます。
私が作ったつたない詩は、失われた小さな物語と幻のようにかすむシルクロードに、自分の困難を重ね、乗り越えてゆく強さを探し続けた歳月そのものです。

自分の詩に、人の心を慰めたり寄り添ったりする力があるとは、決して思いません。
全く同じ環境、同じ病状でない限り、本当にその人の苦しみを理解することはできないでしょう。
しかし、困難な道を一人で歩いているあなたに、これらの未熟な詩を届けたいのです。
何もできないことをもどかしく思いますが、それでも、懸命に今を生きるあなたのために、私は種をまきたい。
あなたの歩く道に、いつも野の花が咲くように――。

あなたはきっと、自分自身の「砂の海」を越えてゆける。
そう信じて、これらの詩をあなたに捧げます』

(前書きより抜粋)

詩集 砂の海

詩集 砂の海

 

初めて祇園祭の巡行へ!(4)

宵山での南観音山

こんにちは、日河 翔です。

前回の更新から三ヶ月以上経ち、祇園祭の記事もすっかり季節外れになりました。

今年の祇園祭まであと4ヶ月・・・。

毎日があっという間に過ぎていきますね。

 

鈴鹿山』の巡行までご紹介しましたので、次はいよいよ『南観音山』ですね。

粽を購入した山鉾が動いている様子は、感慨もひとしおでした。

後祭が復活したのは2014年ですが、この年から南観音山は、後祭の6番目に巡行するようになったようです。

2023年からは、北観音山との巡行順を一年交代で入れ替えていらっしゃるようで、奇数年は2番目、偶数年は6番目になるということを後で知りました。

巡行を見ている時はあれ?と思っていたのですが、2024年ですから6番だったわけですね!

南観音山の御本尊は、楊柳観音様。

鎌倉時代に造られた座像は天明の大火で頭胸部だけとなり、他の部分は江戸時代に作られました。

巡行には、諸病を防ぐと言われる柳の大枝を差し、山の四隅には菊竹梅蘭の木彫薬玉がつけられています。

残念ながら薬玉は見落としてしまったのですが、ゆらめく柳の枝と華麗な絨毯がとても印象的でした。

南観音山には「あばれ観音」という行事があることを、後日調べて初めて知りました。

晴天を祈願する「日和神楽」が終わった直後に行われます。

日和神楽は祇園囃子を奏でながら御旅所へ赴き、祇園囃子を奉納する神事です。

南観音山名物の「あばれ観音」は、神輿の台座に御神体楊柳観音像と善財童子像を布で包んで縛りつけ、激しく揺すりながら町内を三周走ります。

なぜこのような行事があるのか不思議で、調べてみると説はいくつかあるようです。

楊柳観音様に静かに巡行して頂くため、事前に暴れさせるという説のほか、南観音山の観音様が女性であり、男性である北観音山の楊柳観音様への恋心を冷ますために暴れさせるという説もあるようです。

この行事は、後祭宵山の23時頃から始まります。

30分ほどで終わるようですが、なかなか観ることの難しい時間帯ですね。

公共交通機関をご利用の方は、お帰りの時間にご注意下さい!

南観音山

 

『南観音山』の次に姿を現したのは、『浄妙山』でした。

宵山の駒形提灯は見慣れていても何がモチーフになっているのかを知らず、これを機に調べました。

平家物語にある、宇治川の合戦が題材だったのですね!

浄妙というのは、三井寺の僧兵・筒井浄妙のことでしたか・・・なるほど。

橋桁を渡って一番乗りしようとした浄妙の頭上を、一来法師が飛び越え(!)「悪しゅう候、御免あれ」と先陣を取ってしまったというエピソード。

御神体の人形は、一来法師が浄妙の頭上を飛び越える一瞬を表現したもので、圧巻です!

木片の楔で一来法師の人形を支えているなんて、すごい技術に唸ってしまいます。

黒漆塗の橋桁にも矢が突き立ち、凄まじい戦だったことを思わせる山鉾です。

かつて「悪しゅう候山」と呼ばれていたとか。

各山鉾を彩る前懸、後懸、胴懸などは本当に見事で、暑さを忘れて動く美術館に見入ってしまいます。

浄妙山

 

次は『八幡山』が登場しました。

町内に祀られている八幡宮を、何と山の上に勧請したものでした!

御神体は運慶作の応神天皇騎馬像で、いつもは町会所のお庭に祀られているそうです。

山の上の小さな社殿は総金箔で、薄日に淡く輝いてとてもきらびやかでした。

この祠は江戸時代に製作されたと言われています。

朱塗りの鳥居には、神使の鳩が雌雄一対でとまっており、とても可愛らしいと思いました。

八幡山



八幡山』の次は、『役行者山』でした。

応仁の乱以前からある曳山だそうです。

山の御神体役行者だけだと思っていましたが、相殿は一言主神と葛城神でした。

役行者は、修験道の開祖として有名ですね。

日本霊異記』では、役行者が鬼神(一言主神)を使役して、行場のある大峰山葛城山の間に石の橋を架けさせようとしますが、自身の醜悪な姿を恥じて夜しか働かなかったので、役行者は鬼神を折檻したというくだりがあります。

一言主様と言えば、『古事記』下つ巻の印象の方が強いです。

文献に初めて登場されたのが『古事記』ですので。

古事記』の方は、次のようなお話になっています。

雄略天皇葛城山へ鹿狩りに行ったとき、紅紐の付いた青摺の衣を着た、天皇一行と全く同じ恰好の一行が向かいの尾根を歩いているのを目にされました。

天皇が名を問うと、一言主様は「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」とお答えになりました。

天皇は恐れ入り、弓や矢のほか衣を大神様に奉ったということです。

一言主様はそれを受け取られ、天皇の一行を見送ったと書かれています。

成立した時代が違うと言っても、随分扱いに差がありますね・・・。

日本霊異記』では、役行者伊豆国に流されたのは、不満を持った一言主様が朝廷に讒言したためである、と書かれています。

役行者一言主様を呪法で縛り、『日本霊異記』が書かれた時点でも、まだその呪法が解けないとのこと・・・。

役行者山の一言主様は、鬼形で赤熊をかぶり手に斧を持っているお姿です。

また、葛城神は女神として表現されています。

一言主神=葛城神だと思っていたのですが、能の演目『葛城』と同様に、女神様との解釈なのですね。

春日大社境内にある一言主神社はよく参拝していてなじみ深いのですが、いつか葛城一言主神社にもお詣りしたいものです。

 

役行者山では、後祭の宵山護摩焚供養が行われます。
人々の願いを託した護摩木がくべられる厳かな行事ですが、路上で行われるのは大変珍しいと思います。

厄除けの後、ご利益がある護摩壇の檜葉や御幣を持ち帰ることができるようですね。

この護摩焚供養はまだ見たことがないのですが、通りかかった時に会所(かつらぎ会館)を拝見してきました。

今までそこが会所であると全く知らなかったのですが、大勢の人が続々と入って行かれるので、吸い寄せられるようについて行ってしまいました(笑)。

会所の北東には、パワースポットと言われる『行者石』と『一言井戸』があります。

行列に遠慮して、写真を撮るのは諦めました!

 

『行者石』は、役行者神が生地茅原の里(奈良県御所市)から時空を超え、瞬間移動で(!!)石に座り修行をされたものとのこと。

そしてこの石に手を当て、全身の凝りを解したと言われています。

見学者の多くは、行者石に手を当てていらっしゃいました。

それにしても、あの時代に「瞬間移動」という発想がすごい!

『一言井戸』は、その瞬間移動を行う際に使用されたそうです。

どのような使い方をされたのか、興味深いですね。

奈良県御所市の吉祥寺は、役行者の生誕地として名高い古刹です。

役行者

祇園祭の記事は今回で終了かと思っていたのですが、長くなってきましたので一旦区切ることにします。

次こそ終了の予定です。

お読み下さいましてありがとうございました。

 

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

くれなゐ君: 上巻

くれなゐ君: 上巻

Amazon
くれなゐ君: 下巻

くれなゐ君: 下巻

Amazon

 

『 詩集 砂の海 』

著者の闘病期のピークであった19歳から22歳の詩を中心に、17歳から23歳頃までの作品から73編を収録しました。

生と死のはざまで見上げた空の色。
当たり前のことなど何一つないからこそ、届けたい言葉がある。

著者が紡ぐ物語の、原点とも言える詩集です。

『当時私は仏典に惹かれ、玄奘や法顕などの求法僧に共感を抱いておりました。
とりわけ、十七年にも及ぶ命がけの旅に出た三蔵法師玄奘の存在は、憧れでもありました。
玄奘が辿った中央アジアの旅路を、闘病の日々に投影していたのでしょう。
また、郷土史に心を寄せるあまり、若くして命を散らせた方々の想いに同調し、輪廻というものにとらわれていた時期であったとも言えます。
私が作ったつたない詩は、失われた小さな物語と幻のようにかすむシルクロードに、自分の困難を重ね、乗り越えてゆく強さを探し続けた歳月そのものです。

自分の詩に、人の心を慰めたり寄り添ったりする力があるとは、決して思いません。
全く同じ環境、同じ病状でない限り、本当にその人の苦しみを理解することはできないでしょう。
しかし、困難な道を一人で歩いているあなたに、これらの未熟な詩を届けたいのです。
何もできないことをもどかしく思いますが、それでも、懸命に今を生きるあなたのために、私は種をまきたい。
あなたの歩く道に、いつも野の花が咲くように――。

あなたはきっと、自分自身の「砂の海」を越えてゆける。
そう信じて、これらの詩をあなたに捧げます』

(前書きより抜粋)

詩集 砂の海

詩集 砂の海

Amazon

 

初めて祇園祭の巡行へ!(3)

こんにちは、日河 翔です。

 

そう言えば、はてなブログを始めて二年になります。

投稿ペースは息も絶え絶えといった状態になりつつも、今は月に一度は何とか更新しています。

思ったより続いていますね・・・。

はてなブログもSNS(X)もそれぞれご縁をいただき、繋がって下さった方々がいらっしゃるからこそ、今でも続けていられるのだと思います。

いつも本当にありがとうございます。

 

さて、九月から祇園祭(後祭)の巡行について書いておりますが、前回の記事では『北観音山』の巡行まででした。

本来この後は「くじ取らず」(※巡行の順番があらかじめ決まっている山鉾のこと)の『南観音山』のはずなのですが・・・・・・

次に登場したのは『黒主山』でした。

平安時代の歌人で「六歌仙」の一人としてお馴染みの、大伴黒主がモチーフになっています。

百人一首では「あらし吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり」の歌が有名ですよね。私もこの歌が好きです。

御神体は、謡曲「志賀」に因んで、桜を仰ぎ眺めている大伴黒主を表しています。

重さ1トン未満の小ぶりの山鉾ですが、満開のしだれ桜がとても華やか。

黒主山の粽(ちまき)は、桜の花飾りが付いているようです。

桜好きの自分としては、来年の粽はここで買いたいと思ってしまいました。

各山鉾で粽を見るたびここの粽がいい!と思うので、もういっそ順番に、毎年異なる山鉾で購入するのがいいかもしれませんね。

 

黒主山の次は、『鯉山』が通りました。

鯉山の始まりは室町時代後期と言われ、大きな鯉が龍門の滝を跳躍しながら登る姿を表しています。

鯉山保存会の前を通りかかるたびに、なぜ鯉なのだろうと思いながらも、今まで調べたことがありませんでした。

今年巡行を見に行かなければ、ずっと知らないままだったかもしれません。

中国の故事である『登龍門』が由来なのですね!

函谷関の上流、霊山にある峡谷・龍門。

その谷は激流で普通の魚は登ることができず、登りきった魚には霊力が宿って龍になると言われたことから、『登竜門』という言葉が使われるようになりました。

鯉山はまずその『鯉』に目を奪われますが、前面には朱塗りの鳥居がたてられ、山の奥には朱塗りの小さな祠を安置し素戔嗚尊を祀っておられるようです。

私が立っていた位置からは、鳥居と祠は見えましたが、残念ながら滝に見立てられた白い麻緒までは見えず・・・でした。

 

江戸時代(天明8年)の大火で被害を受けた鯉山は、天保年間には再建されます。

しかしながら、またもや幕末の禁門の変で町が焼け尽くされてしまいます。

そんな中、町衆が木彫りの鯉とタペストリーを持ち出し、無事だったという歴史に胸が熱くなりました。

その後、明治5年(1872)には町衆の寄付により、再建を成し遂げたそうです。

鯉山のタペストリーは、16世紀にベルギーで作られた貴重な品で、古代ギリシャの叙事詩『イーリアス』のトロイ戦争を描いたものとのこと。

法皇から伊達政宗への贈り物として来日した一枚が、江戸末期に会津の天寧寺から京都の天寧寺へ移され、それを鯉山の町衆が手に入れたと言われているそうです。

他の町に負けない山を出し、町の団結と自治力を示す町衆の、心意気を感じますね。

木彫りの鯉も江戸時代の名工・左甚五郎作と伝えられており、まさに動く美術館です!



鯉山の次は、『鈴鹿山』でした。

沿道で見ている時は、行列の先頭に山鉾名が書かれた札を掲げて下さるので、「これが○○山だ」とすぐ分かるのですが、撮った写真を後日見ると、情けない話ですがどの山鉾か分からなくなったりします・・・。

間違っていては大変なので、保存会のホームページに掲載されている写真と照らし合わせながら書いています。

鈴鹿山は宵山の折、烏丸通沿いに据えられているので、通りかかった時に駒形提灯の写真を撮ったりしていたなじみ深い山です。

鈴鹿権現をお祀りしたものなのですね。

どのような神様なのだろうと調べると、伊勢の鈴鹿山で道ゆく人々を苦しめた悪鬼を退治されたのが、鈴鹿権現なのだそうです。

鈴鹿御前というお名前の方が、有名かもしれませんね。

「瀬織津姫命」とも言われているようです。この神様は、神社で奏上される『大祓詞』に祓の神として登場されます。

山鉾での「鈴鹿権現」は、金の烏帽子をかぶり、手に大長刀を持つ女人の姿で表されていますね。

山に立つ松につけられる絵馬は、巡行後に盗難除けの護符として授与されるそうです。

 

巡行の山鉾は、あと6基・・・。気がつけば、今年も残すところわずか一か月になりました。

季節外れの記事で申し訳ございません! 気長にお付き合い頂けましたら幸いです。

お読み下さいましてありがとうございました。

 

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

くれなゐ君: 上巻

くれなゐ君: 上巻

Amazon
くれなゐ君: 下巻

くれなゐ君: 下巻

Amazon

 

『 詩集 砂の海 』

著者の闘病期のピークであった19歳から22歳の詩を中心に、17歳から23歳頃までの作品から73編を収録しました。

生と死のはざまで見上げた空の色。
当たり前のことなど何一つないからこそ、届けたい言葉がある。

著者が紡ぐ物語の、原点とも言える詩集です。

『当時私は仏典に惹かれ、玄奘や法顕などの求法僧に共感を抱いておりました。
とりわけ、十七年にも及ぶ命がけの旅に出た三蔵法師・玄奘の存在は、憧れでもありました。
玄奘が辿った中央アジアの旅路を、闘病の日々に投影していたのでしょう。
また、郷土史に心を寄せるあまり、若くして命を散らせた方々の想いに同調し、輪廻というものにとらわれていた時期であったとも言えます。
私が作ったつたない詩は、失われた小さな物語と幻のようにかすむシルクロードに、自分の困難を重ね、乗り越えてゆく強さを探し続けた歳月そのものです。

自分の詩に、人の心を慰めたり寄り添ったりする力があるとは、決して思いません。
全く同じ環境、同じ病状でない限り、本当にその人の苦しみを理解することはできないでしょう。
しかし、困難な道を一人で歩いているあなたに、これらの未熟な詩を届けたいのです。
何もできないことをもどかしく思いますが、それでも、懸命に今を生きるあなたのために、私は種をまきたい。
あなたの歩く道に、いつも野の花が咲くように――。

あなたはきっと、自分自身の「砂の海」を越えてゆける。
そう信じて、これらの詩をあなたに捧げます』

(前書きより抜粋)

詩集 砂の海

詩集 砂の海

Amazon

 

初めて祇園祭の巡行へ!(2)

こんにちは、日河 翔です。

 

暑い京都の夏を彩る、祇園祭。

川床が出て本格的な夏の始まりを感じ、祇園囃子が聞こえると熱さは最高潮に。

そんな祇園祭一色になる7月の13日。

ちょうど四条烏丸付近を歩いていると、烏丸通に沿ってものすごい行列が続いているではありませんか。

思わず二度見。それどころか、しばらく呆気にとられて立ち尽くしました。

一体何が? 祇園祭関係の行列だとしても、こんな午前中に?

その日はちょうど親戚へ返礼品を送るため、四条烏丸まで歩きましたが、行列は四条通にも伸びていました。

そこではじめて、長刀鉾の粽を買い求める行列だと気づいた次第です。

ニュースにも出ていたそうで・・・。

確かに長刀鉾は別格ではありますが、凄まじい行列に圧倒されました。

行列が苦手な私なら早々にあきらめてしまったと思いますが、並んでおられた方々に脱帽です。

熱意が足りないことを恥じ入りながら、行列のお邪魔にならないように、足早に退散しました。

 

さて、前祭の宵山と山鉾巡行も終わり、7月18日から後祭の山鉾建てが始まりました。

21日から23日までは後祭の宵山です。

人混みを敬遠していた私でも、後祭の宵山なら大丈夫でした!

この宵山に合わせて、各山鉾町の旧家が秘蔵の屏風や書画を公開して下さる「屏風祭」が開催されます。

目の保養になるので、暑さで消耗した体力を目から取り戻している気がします。

 

24日は、いよいよ「後祭」の巡行日。

後祭の巡行が復活したのは、平成26年度からです。

結構最近の話なのだなと驚きました。

結局、御池通沿いで巡行を待つことにしたので、とりあえず9時20分頃に地下鉄烏丸御池駅に到着しましたが、当然のことながら御池通には人垣ができていました。

通行止めされた御池通の道路上に、ずらりとテントが並んでいます。

これは有料の観覧席で、予約している旅行代理店のお名前などが見えました。

市役所へ向かってどこまで歩こうと思いながら、烏丸御池駅の地上へ出たところで立ち止まると・・・なぜかすぐ目の前に、人垣の途切れた場所が!

立っていても良いところなのか不安になり、周囲を何度か確認しましたが、特に問題はなさそうな・・・。

そろそろ先頭の橋弁慶山が見える時間になってしまったので、そのまま待つことにしました。

時刻は9時30分、天候は薄曇り。

気温は・・・体感で38度前後。雲の多い午前中だったので助かりました。

祇園祭の解説アナウンスが流れ、交差点から御池通に現れたのは橋弁慶山。

(・・・・・・山が動いている!!)

テレビ中継でも巡行を見たことがなかったので、純粋に感動!

周囲は外国人観光客の方が多く、お邪魔にならないように気をつけながら、ちゃっかり写真を撮りました。

橋弁慶山は『くじ取らず』。

くじ取らずとは、巡行の順番があらかじめ決まっている山鉾のことです。

橋弁慶山が近づいてくると、五条大橋の上で戦っている牛若丸と弁慶が見えました。

謡曲「橋弁慶」を題材としているようです。

牛若丸は橋の欄干に片足立ち・・・!

細かいところまでは見えず、後日橋弁慶山のオフィシャルサイトで確認しました。

欄干の、しかも擬宝珠の上に足駄で片足立ちしておられました。

バランスがすごい・・・。

室町時代にはすでに橋弁慶山があったというのも、感慨深いですね。

 

次に来たのは、北観音山。

北観音山も『くじ取らず』です。宵山で目に馴染んだ曳山が実際に動いていると、何だか拍手を送りたくなってしまいました・・・。

本当に動く美術館だなあと、感心して見送りました。

絨毯などの説明は、北観音山保存会のサイトから引用させていただきます。

「上り観音山」ともいわれている。

文和2年(1353)創建であることが町有古文書に記され、山舞台には楊柳観音像と韋駄天立像を安置する曳山で、飾屋根を付けたのは天保4年(1833)のことである。

破風下の木彫雲鶴は片岡友輔の作。

天水引は観音唐草と雲龍図を隔年に使用、下水引は関帝祭の図と伝える人物風景は中島来章の下絵。

胴懸類は17~18世紀の花文インド絨毯を用いていたが、近年、前後懸は19世紀のペルシャ絨毯、胴懸東面はトルキスタン絨毯と、西面はインド絨毯「斜め格子草花文様」の復元品に変えている。

二番、三番水引は共に山鹿清華作の手織錦であったが、平成18年(2006)より「赤地牡丹唐草文様綴織」の二番水引と「金地紅白牡丹文様唐織」の三番水引(復元新調)の江戸時代の姿に戻している。

四隅の房掛金具は祇園守。

欄縁の唐獅子牡丹等錺金具の精巧さは、この山の華麗さを際立たせている。
巡行時に柳の枝を差出しているのは観音懺法にちなむもの。

慶安4年(1651)在銘の旧観音尊衣裳、退紅色花菱襷文様繻珍裂は大切に保存されている。

 

この後、9基の山鉾が次々と通ります。

少し長くなりそうですので、小分けにしてご紹介したいと思います。

お読み下さいましてありがとうございました!

 

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

くれなゐ君: 上巻

くれなゐ君: 上巻

Amazon
くれなゐ君: 下巻

くれなゐ君: 下巻

Amazon

 

『 詩集 砂の海 』

著者の闘病期のピークであった19歳から22歳の詩を中心に、17歳から23歳頃までの作品から73編を収録しました。

生と死のはざまで見上げた空の色。
当たり前のことなど何一つないからこそ、届けたい言葉がある。

著者が紡ぐ物語の、原点とも言える詩集です。

『当時私は仏典に惹かれ、玄奘や法顕などの求法僧に共感を抱いておりました。
とりわけ、十七年にも及ぶ命がけの旅に出た三蔵法師・玄奘の存在は、憧れでもありました。
玄奘が辿った中央アジアの旅路を、闘病の日々に投影していたのでしょう。
また、郷土史に心を寄せるあまり、若くして命を散らせた方々の想いに同調し、輪廻というものにとらわれていた時期であったとも言えます。
私が作ったつたない詩は、失われた小さな物語と幻のようにかすむシルクロードに、自分の困難を重ね、乗り越えてゆく強さを探し続けた歳月そのものです。

自分の詩に、人の心を慰めたり寄り添ったりする力があるとは、決して思いません。
全く同じ環境、同じ病状でない限り、本当にその人の苦しみを理解することはできないでしょう。
しかし、困難な道を一人で歩いているあなたに、これらの未熟な詩を届けたいのです。
何もできないことをもどかしく思いますが、それでも、懸命に今を生きるあなたのために、私は種をまきたい。
あなたの歩く道に、いつも野の花が咲くように――。

あなたはきっと、自分自身の「砂の海」を越えてゆける。
そう信じて、これらの詩をあなたに捧げます』

(前書きより抜粋)

詩集 砂の海

詩集 砂の海

Amazon

 

初めて祇園祭の巡行へ!(1)


こんにちは、日河  翔です。

忙しかった8月も終わり、9月もいつの間にか下旬になって、ようやく通常生活に戻りつつあるこのごろです。

8月3日から、ブログを完全にストップしておりました・・・。

そろそろ再開しなければ、更新するという習慣が途絶えて、ブログ自体休眠してしまいそうです。

 

この夏も猛暑で大変でしたね。

38度を上回る外気にも驚かなくなり、自宅周辺の最高気温も昨年と同じく39度を超えました。温度計の数字は見慣れても、暑さへの耐性はあまりつかないものですね。

 

 

京都の夏といえば、祇園祭。日本三大祭の一つです。

千年以上の歴史を持つ祇園祭は、7月1日の吉符入(非公開)から始まり、同月31日の疫神社夏越祭(八坂神社境内)までの1か月にわたって、様々な祭事が行われる八坂神社の祭礼です。

869年に疫病を鎮めるために始まった「御霊会」が発祥とされています。

祭事には、神幸祭、還幸祭、山鉾巡行、前祭(さきまつり)・後祭(あとまつり)とその宵山などがあります。

 

祇園祭といえば山鉾巡行というイメージがありますが、このお祭りの趣旨は、八坂神社の御祭神が神輿に乗って氏子地域を渡御することです。

この渡御の前に通りを露払いするため、山鉾巡行は行われているのです。

前祭の山鉾巡行は、神様が御旅所へお渡りになるための露払いで、後祭の方は八坂神社へお還りになるための露払いです。

二回に分けることなく、一日に統合された時期もあったそうですが、現在は伝統的な形式で開催されています。

 

 

京都に住んでいる人は、意外と祇園祭を見に行かないらしい。

そう書かれている本があったり、他府県の方から聞くこともあります。

かくいう私も、ほとんど行ったことがありません。

7年ほど前に一度、前祭の宵山へ。

人混みの中、どの通りを歩いたのかさえ分かりませんでした。

 

そして昨年、思いがけず後祭の宵山を見かけました。

所用で出かけた時、駅へ向かう途中で見えた山鉾の駒形提灯をたどり、鈴鹿山・八幡山・役行者山・鷹山・北観音山・南観音山を拝見してきました。

前祭とは異なり、後祭には夜店が出ません。

その代わり、通りに並ぶお店が軒先で、ちょっとした飲食物などを販売しておられます。

私もちょうど、和装店の店先でラムネを見かけ、中の椅子をお借りして美味しく頂きました。

男子中学生が売り子のお手伝いをしている様子は微笑ましく、和みました。

 

 

各山鉾を見て回っていると、「こんなところに山鉾が納められていたのか!」という驚きが何度もあり、新鮮な気持ちになります。

何気なく歩いている通りに山鉾保存会があり、普段いかに見落としているか、改めて分かりました。

鷹山では、有料で山に上がって見学できます。なかなかできない体験だと思い、私も上がらせて頂きました。

思ったよりずっと高くて、見晴らしが良かったです。貴重な経験となりました!

 

南観音山では、初めて粽(ちまき)を購入!!

恥ずかしながら、生まれて初めて買いました。

京都では、玄関扉に吊り下げられている粽をよく見かけます。

京都に住むようになってから、あのしめ縄飾りのような、お札のようなものは何だろうと、ずっと思っていました(笑)。

神社仏閣が好きなので、どこの神社さんのものかすごく気になっていたのです。

ただ、吊り下げておられるお家の数がやけに多いなと・・・(笑)。

今は粽を見かけると、どこの山鉾のものか気になるようになりました。

 

後祭の宵山は出店がない分、満員電車状態の壮絶な人混みを歩くということはありません。

落ち着いて見物することができるので、すっかり後祭派になってしまいました。

今年も後祭の宵山へ行って、お祭り気分を満喫してきました。

今まで巡行を見に行こうとは思いつきもしませんでしたが、後祭の巡行ならちらっとでも見えるのではないかという気持ちになり、思いきって行くことにしたのです。

 

 

後祭の巡行は、7月24日。

山鉾巡行は地下鉄烏丸御池駅付近を9時30分に出発し、10時頃に京都市役所前でくじ改めがあります。

そして、10時40分頃に阪急京都河原町駅付近を通過し、11時20分頃に阪急烏丸駅付近に、先頭の橋弁慶山が到着します。

どのあたりで見るといいのか悩み、結局スタート地点の烏丸御池駅へ!

 

少し話が長くなってきましたので、続きは次回書きたいと思います。

小分けの記事ばかりで恐縮です。

お読み下さいまして、ありがとうございました。

 

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

くれなゐ君: 上巻

くれなゐ君: 上巻

Amazon
くれなゐ君: 下巻

くれなゐ君: 下巻

Amazon

 

『 詩集 砂の海 』

著者の闘病期のピークであった19歳から22歳の詩を中心に、17歳から23歳頃までの作品から73編を収録しました。

生と死のはざまで見上げた空の色。
当たり前のことなど何一つないからこそ、届けたい言葉がある。

著者が紡ぐ物語の、原点とも言える詩集です。

『当時私は仏典に惹かれ、玄奘や法顕などの求法僧に共感を抱いておりました。
とりわけ、十七年にも及ぶ命がけの旅に出た三蔵法師・玄奘の存在は、憧れでもありました。
玄奘が辿った中央アジアの旅路を、闘病の日々に投影していたのでしょう。
また、郷土史に心を寄せるあまり、若くして命を散らせた方々の想いに同調し、輪廻というものにとらわれていた時期であったとも言えます。
私が作ったつたない詩は、失われた小さな物語と幻のようにかすむシルクロードに、自分の困難を重ね、乗り越えてゆく強さを探し続けた歳月そのものです。

自分の詩に、人の心を慰めたり寄り添ったりする力があるとは、決して思いません。
全く同じ環境、同じ病状でない限り、本当にその人の苦しみを理解することはできないでしょう。
しかし、困難な道を一人で歩いているあなたに、これらの未熟な詩を届けたいのです。
何もできないことをもどかしく思いますが、それでも、懸命に今を生きるあなたのために、私は種をまきたい。
あなたの歩く道に、いつも野の花が咲くように――。

あなたはきっと、自分自身の「砂の海」を越えてゆける。
そう信じて、これらの詩をあなたに捧げます』

(前書きより抜粋)

詩集 砂の海

詩集 砂の海

Amazon