ともしびの花 ~日河 翔の創作手帖~

作品のお知らせや創作活動に関すること、訪ねた寺社の紹介などを綴っています。

月輪寺登拝記(2)

清滝川に沿った月輪寺への参道より

こんにちは、日河 翔です。

 

昨年の春、京都の愛宕山中にある月輪寺(つきのわでら)を登拝した際の、備忘録第二弾です。

shohikawa.hatenablog.com

 

まず、登拝するために何を準備したらよいか分からず、インターネットでトレッキングなどの情報を集めることから始めました。

ただ、元々トレッキングやハイキングの趣味は、全く持ち合わせておりません。

登山にしか使えないものは後々困ると思い、普段の生活で使用しているものを代用することにしました。

 

【持参した物】

◆マウンテンパーカー

→山中での小雨と防寒対策のため、出発時から羽織っていきましたが、登山道の中盤あたりで暑くて脱ぎました。

 下山時は、木陰では涼しかったのでまた羽織りました。

◆日除け帽子

→登山口から境内までの間に、木陰のない場所もありましたので、やはり必要かと・・・。

 行き交う方々は皆、帽子を被っておられました。

◆500mlペットボトルの飲料4本(ミネラルウォーター)

→水分補給と、転倒した時に傷口を洗うため、そしてお寺様に納めるために持参しました。

 ありがたいことに怪我一つなく、お寺には2本奉納できました。

◆昼食(パン)

→不測の事態に備え、いつもの昼食より多めに持って行きました。

 空腹を感じたわけでもないのに、休憩時に気分転換のため少し食べ、後悔しました。

 軽い胸やけが・・・。

◆熊鈴

→本物の熊鈴を購入しても普段使うことがないので、自宅にあったキーホルダーや根付の鈴をまとめて一つにし、バス停を降りてからリュックに付けました(賑やかな音がするので、公共交通機関で付けるのは憚られるため)。

 まるで神楽鈴のように鳴り響いたためか、小動物の影すら見かけませんでした・・・。

◆雨傘

→杖の代用品として持参しましたが、特に往路は大活躍してくれました。

 ただ、傘でも杖でも2本は必要だと痛感。

 次回は折りたためる軽いトレッキングポールを2本、購入しようと決めました。

 山道の登りやすさが全然違うと思います!

◆カーディガン

愛宕山中と京都市街では、10度くらいの温度差があると聞いていましたので、到着後に寒ければパーカーの下に羽織ろうと、リュックに入れました。

 境内は涼しかったですが、肌寒いほどではなく、結局使うことはありませんでした。

◆レインコート

→晴れた日を選んで登拝しましたが、山の天気は変わりやすいと言います。

 念のため持って行きました(帰宅するまで雨は降りませんでした)。

◆スニーカー

→登山靴を履くのが正解なのでしょうが、歩きやすさを重視して、慣れない重い靴より手持ちのスニーカーを選びました。

 途中で、靴裏のソール(クッション?)が両足とも剥がれてしまうアクシデントがありました。

 やはり靴底は厚い方が歩きやすいと、痛感した次第です(笑)。

◆ゴミ袋

→道中で軽食を取る可能性を考え、ゴミ袋を携帯しました。

 参道はひとかけらのゴミさえ落ちていない、とてもきれいな道でした。飴などは持って行きませんでしたが、食べる習慣のある方は、包み紙を落とさないよう注意が必要だと思います。

◆携帯電話のバッテリー

→山中で一か所、携帯電話の電波が届くという立て札を目にしました。

実際通話には使いませんでしたが、写真を撮るためにスマホの電力を消費しましたので、念のため緊急時用にバッテリーが必要かと思いました。

◆絆創膏、消毒液、湿布

→念のため持参しましたが、一度も転ばず下山できました。

◇バインダー(決裁板)

→思い浮かんだ文章を書き留めてこようと思い、メモしやすいようにバインダーを購入しました。結果、これだけが不要な荷物に・・・。

 嵐山駅でバスを待っている間しか、文章スケッチをする余裕がありませんでした。

 時間的にも、体力的にも・・・。

 外出時はできるだけ余計な物を持って行かない、と改めて自分にも言い聞かせています。

 

このように、準備物を箇条書きしてみると・・・意外に少ないですね。

上述の他、御仏前にお供えする菓子折を持参しました。

季節によって、虫対策用品や防寒グッズが必要になってくると思います。

 

この備忘録のタイトルが「登拝記」であるにも関わらず、登り始めるところまでなかなか辿り着いておりませんが・・・。

続きは、月輪寺登拝記(3)でお会いしましょう。

 

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

『 詩集 砂の海 』

著者の闘病期のピークであった19歳から22歳の詩を中心に、17歳から23歳頃までの作品から73編を収録しました。

生と死のはざまで見上げた空の色。
当たり前のことなど何一つないからこそ、届けたい言葉がある。

著者が紡ぐ物語の、原点とも言える詩集です。

『当時私は仏典に惹かれ、玄奘や法顕などの求法僧に共感を抱いておりました。
とりわけ、十七年にも及ぶ命がけの旅に出た三蔵法師玄奘の存在は、憧れでもありました。
玄奘が辿った中央アジアの旅路を、闘病の日々に投影していたのでしょう。
また、郷土史に心を寄せるあまり、若くして命を散らせた方々の想いに同調し、輪廻というものにとらわれていた時期であったとも言えます。
私が作ったつたない詩は、失われた小さな物語と幻のようにかすむシルクロードに、自分の困難を重ね、乗り越えてゆく強さを探し続けた歳月そのものです。

自分の詩に、人の心を慰めたり寄り添ったりする力があるとは、決して思いません。
全く同じ環境、同じ病状でない限り、本当にその人の苦しみを理解することはできないでしょう。
しかし、困難な道を一人で歩いているあなたに、これらの未熟な詩を届けたいのです。
何もできないことをもどかしく思いますが、それでも、懸命に今を生きるあなたのために、私は種をまきたい。
あなたの歩く道に、いつも野の花が咲くように――。

あなたはきっと、自分自身の「砂の海」を越えてゆける。
そう信じて、これらの詩をあなたに捧げます』

(前書きより抜粋)

詩集 砂の海

詩集 砂の海

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一年の始まり

 

こんにちは、日河 翔です。

遅いスタートとなりましたが、今年もマイペースでブログを綴っていきたいと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。

 

2024年は波乱の幕開けとなりましたね・・・。連日つらいニュースが流れ、胸が塞がる思いです。

京都での揺れは小さかったのですが、時間が長く感じられ、不安に駆られました。

揺れると、どうしても過去の震災を思い出してしまいます。

 

被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

報道に心を痛める日々ですが、一日も早い復興を願って、微力ながら自分にできることをしていきたいと思います。

 

 

震災に加えて、二日に起きた羽田空港の事故にひどく動揺しました。

それまでは、SNS(X)には毎日一回投稿していたのですが、どんな言葉も出てこない、言葉が口をついて出てこないような思いがして、気持ちが鎮まるまで、しばらく写真のみの投稿にしました。

元日は、前職場の方たちの近況を知り、懐かしく思い出していたためかもしれません。

事故のニュースに、様々な思いが胸を駆け巡り、涙が止まりませんでした。

 

第三管区海上保安本部の 亡くなられた みずなぎ1号の皆さん
心から ご冥福をお祈り申し上げます

 

悲しい出来事から始まった2024年。

今の自分にもできることを一つ一つ、しっかりと頑張っていかなければ。

そのためにも、毎日後悔しないように過ごそうと強く感じた年始でした。

月輪寺登拝記(1)

 

こんにちは、日河 翔です。

 

8ヶ月も前のことで恐縮ですが、令和5年4月下旬に、鎌倉山  月輪寺(つきのわでら)へ参拝しました。

月輪寺は、京都市右京区嵯峨清滝月ノ輪町にある、天台宗の寺院です。

京都盆地の西にそそり立つ、標高924mの愛宕山。古来より、信仰の山として知られています。

その愛宕山の東方、深い山中で1500年以上、神仏習合法要を続けておられるお寺様です。

山岳寺院でもある月輪寺の標高は、560m。

平地にある寺社参拝に慣れてしまっている私には、かなりハードな道のりです。

 

4~5歳児並みの体力なのに、なぜ登拝しようと考えたのか、自分でも不思議です。

月輪寺の存在を知ったのは、令和5年2月に出版した小説『くれなゐ君』の校正作業も終盤に差しかかっていた頃でした。

当時、次の小説は、平安時代のファンタジーを続けて書き上げようと考えていました。

校正作業をしながら少しずつ資料を集めていましたが、愛宕山について勉強しようと調べていた矢先、Twitter(X)で月輪寺様の発信をお見かけしたのです。

 

月輪寺公式ホームページ ↓

tukinowatera76.jimdofree.com

 

寺院までは車道がなく、かと言ってリフトがあるわけでもなく、参拝するには登山で約2時間かかります。

月輪寺にはガスも水道もなく、風による倒木や落雷でよく停電することを知りました。

生活用水は湧き水を使っておられ、文化財保護のため火気厳禁で、氷点下でも水風呂とのこと・・・。

また、2012年の集中豪雨による土砂崩れで、境内の愛宕大権現堂は全壊となりました。

その後2018年の台風では、倒木被害で屋根が傷み、長年の酸性雨も加わって、寺内全ての屋根は穴があく被害を受けておられるようです。

 

廃仏毀釈の時代を耐え忍び、このような厳しい環境の中、1000年以上も愛宕山神仏習合法要を続けておられるお寺様です。

日本において、ここまでの環境におかれている寺院はなかなか存在しないのではないでしょうか。

愛宕山最寄りのバス亭「清滝」までの道にて、車窓より

 

令和5年1月、2月は、里でも大雪が降った年となりました。

こんなに雪が降る中、愛宕山ではどう過ごしていらっしゃるのだろうと居ても立っても居られなくなり、雪解けの頃に仏様の御供物をお送りするようになったのが、月輪寺様とのご縁のきっかけでした。

 

ただ、郵便物は1日にレターパック1通が限度です。

郵便局員の方が平日に交替で、険しい道程を登山配達して下さっています。

他の運送会社による宅配便も実施されておりません。

麓の郵便局へ、同じ日に2通のレターパックが届いた場合は、そのうちの1通は麓の倉庫止めとなり、お寺様による引き取りが数か月先になることもあります。

そのため、レターパックをお送りする場合は、Twitter(X)への投稿により、他のフォロワー様と郵送日が被らないように日程調整をする必要があります。

 

春になったら、登拝してみよう・・・。

冬の間にそんな思いをあたためていたのですが、何しろ日頃運動らしい運動をしていないものですから、勾配の急な山道を登る自信がありませんでした。

(結果的には、体力作りを全くせずに、勢いだけで登りました・・・)

 

そして3月。

『くれなゐ君』のペーパーバック版が発売開始となって、出版は一段落し、滋賀県大津市石山寺様への御礼参りも済ませ、愛宕山登拝の準備を少しずつ始めました。

準備と言っても、行程やバスの時刻表を確認したり、持参する物をリストアップするくらいですが・・・。

4月も半ばになれば山の寒さも和らいでいるのではないかと、週間天気予報をチェックし始めました。

何故かというと、雨の山道は危険なので、登拝は雨の降らない日を選ばなければならなかったからです。

 

月輪寺登拝記(2)へ続きます。

 

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

『 詩集 砂の海 』

著者の闘病期のピークであった19歳から22歳の詩を中心に、17歳から23歳頃までの作品から73編を収録しました。

生と死のはざまで見上げた空の色。
当たり前のことなど何一つないからこそ、届けたい言葉がある。

著者が紡ぐ物語の、原点とも言える詩集です。

『当時私は仏典に惹かれ、玄奘や法顕などの求法僧に共感を抱いておりました。
とりわけ、十七年にも及ぶ命がけの旅に出た三蔵法師玄奘の存在は、憧れでもありました。
玄奘が辿った中央アジアの旅路を、闘病の日々に投影していたのでしょう。
また、郷土史に心を寄せるあまり、若くして命を散らせた方々の想いに同調し、輪廻というものにとらわれていた時期であったとも言えます。
私が作ったつたない詩は、失われた小さな物語と幻のようにかすむシルクロードに、自分の困難を重ね、乗り越えてゆく強さを探し続けた歳月そのものです。

自分の詩に、人の心を慰めたり寄り添ったりする力があるとは、決して思いません。
全く同じ環境、同じ病状でない限り、本当にその人の苦しみを理解することはできないでしょう。
しかし、困難な道を一人で歩いているあなたに、これらの未熟な詩を届けたいのです。
何もできないことをもどかしく思いますが、それでも、懸命に今を生きるあなたのために、私は種をまきたい。
あなたの歩く道に、いつも野の花が咲くように――。

あなたはきっと、自分自身の「砂の海」を越えてゆける。
そう信じて、これらの詩をあなたに捧げます』

(前書きより抜粋)

詩集 砂の海

詩集 砂の海

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『詩集 砂の海』を発売しました!

 

こんにちは、日河 翔です。

 

今年の春から、学生時代に書いていた詩を浄書し始めたのですが、詩集として一冊にまとめ、AmazonKindleより電子書籍及びペーパーバックとして出版しましたのでお知らせします。

 

詩集出版のきっかけとなったのは、ツイッター(X)です。

ツイッターは、このはてなブログ開設とほぼ同時期に登録し、細々と独り言を投稿していました。

ひっそりと生息していた私のアカウントを見て、フォローして下さった方が詩を好む方で、毎日様々な方の詩をリツイート(リポスト)しておられました。

そのフォロワーさんは、闘病中の方でした。

日々拝見する多くの詩と、その方の体調不良に、いてもたってもいられない気持ちになったのです。

その方に限らず、病気と闘う方々の投稿を見る度に、自分にできることはないかと考えておりました。

 

私にも、詩ばかり書いていた時期がありました。

ほとんど詩しか書けなかった、とも言えます。

ちょうど19歳から22歳あたりがピークで、闘病の真っ最中でした。

外見からは分からない自己免疫疾患だったため、周囲に心配をかけないよう、体調不良を隠し続けて日常生活を送っていました。

その日々を支えていたのが、詩だったのだと思います。

 

前著『くれなゐ君』も同時期に書き始めたものですが、小説は(特にこの作品は、かもしれませんが)非常にエネルギーを要しましたので、細々としか書き続けることができませんでした。

それに対して詩は、ほんのわずかですが、体調の悪化を防ぐことができたような気がします。

 

当時書きためた詩は、自らの快復とともに振り返ることもなくなり、詩自体段々書かなくなっていきました。

いつまでも手許に残しておいても仕方がないと、処分を考えていた矢先、これらが少しでも人の役に立たないだろうかと思ったのです。

 

今回出版する『詩集 砂の海』の前書きを、引用させて頂きます。

 自分の詩に、人の心を慰めたり寄り添ったりする力があるとは、決して思いません。全く同じ環境、同じ病状でない限り、本当にその人の苦しみを理解することはできないでしょう。
 しかし、困難な道を一人で歩いているあなたに、これらの未熟な詩を届けたいのです。
 何もできないことをもどかしく思いますが、それでも、懸命に今を生きるあなたのために、私は種をまきたい。あなたの歩く道に、いつも野の花が咲くように――。
 あなたはきっと、自分自身の「砂の海」を越えてゆける。そう信じて、これらの詩をあなたに捧げます。

 

二十歳前後の人間の闘病詩が、現段階において、誰かのきっかけになることは皆無かもしれません。

しかしこの先、同じような道を歩く人が現れた時、些細なきっかけ、些細な励ましになれる可能性はゼロとは言いきれませんので、私にとっておそらく最初で最後の詩集を出版することにしました。

 

今回もKindleの読み放題サービス「Kindle Unlimited」に登録しています。

30日間は無料で体験(サービスがご自身に合わなければ、体験期間中に解約可能)できますので、よろしければ一度覗いてみて下さい。

詩集 砂の海

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<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

石山寺参詣記(4)


こんにちは、日河 翔です。

前回の更新日から、またしても二ヶ月経過・・・。ブログを書く習慣は、一体どこへ行ったのやら。いい加減にせよと自分を叱責したい、今日この頃です。

 

暑さに弱る感覚が消えないうちに、いつの間にか金木犀も散り、木々が少しずつ色づき始めましたが、はてなブログでは未だに早春の記事。

石山寺の後、京都の愛宕山にある月輪寺の参拝について書こうかと思っており、冬になってもブログでは「常春」状態が続きそうです。

 

さて、石山寺参詣記(3)で触れておりました「金龍竜王社」をご紹介いたします。

金龍竜王社は東大門にほどちかい『拾翠園』内に鎮座されています。

お隣は大黒天です。

前回訪れた時、大黒天様はお参りしたのですが、拾翠園は入っていいものかどうか分からず、ご遠慮したのでした。


今回は、参拝者の後に続いて足を踏み入れてみました。

緋毛氈のかけられた縁台があり、しばし足を休めることができました。

うららかな春の日差しのもと、美しい庭だなぁとぼんやり周囲を眺めていましたが、ふと池の傍へ寄りたい気持ちがわき・・・。

静かな池に建つ厳かなお社に、はっとさせられました。

この金龍竜王社は大日如来の化身であり、石山寺の守護神とのこと。

胸を打つ何かを感じ、長い時間そこに立ち尽くしてしまいました。

我に返って参拝させて頂きましたが、今回、出会わせて頂いて本当にありがたいと思いました。

 

参拝を終えて門をくぐる前に、ふと振り返って参道の写真を撮りました。
拙著『くれなゐ君』で描いたのは、この場所でした。

私にとっては、忘れがたい場所となりました。

 

 門が近づいてくる。再びこの地を訪れるという保証もないが、一度(ひとたび)の別れとして千早は本堂のある方角を振り返った。仏門に入った後には、石の階(きざはし)を上ることがあるやもしれない。その日まで、緑したたる静謐を胸に刻んでおきたかった。
 門をくぐろうとした瞬間、千早は幼い少女とすれ違った。

 

             (『くれなゐ君』第十七帖石山より一部抜粋)

 

石山寺には、まだまだ紹介しきれないほど素晴らしい場所がありますが、今回の参詣記はこのくらいに留めておきたいと思います。

関西へお越しの際は、ぜひ一度石山寺へお参りになることをおすすめします。

最後に、石山寺のすぐ傍を流れる瀬田川の写真を載せておきます。

 

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

石山寺参詣記 (3)


こんにちは、日河 翔です。

前回の更新から二か月近く経ってしまいました・・・。

一日一定量書き進める習慣が漸くついてきた矢先、7月末から多忙になり、日課をすべてストップすることに。

このところ落ち着く気配を感じていますので、ブログも含めた日課を、少しずつ再開していきたいと思います。

 

さて、石山寺の境内で、まだご紹介できていない場所が沢山あるのですが、ちょっと絞って載せていきますね。

 

志納所を過ぎ、明王院の前あたりにある比良明神影向石(ひらみょうじんようごうせき)。

初めて見た時は「神聖な井戸なのかな?」と思ってしまったのですが、ここは良弁僧正と比良明神が出会った場所とされています。
石山寺縁起絵巻によると、東大寺の僧良弁僧正は、聖武天皇東大寺の大仏建立に必要な黄金の調達を命じられました。

僧正様は、金峯山に籠って金剛蔵王の夢告を受け、石山の地を訪れたのですが、岩の上で釣りをしていた老人から、お告げの地がまさにこの地であったことを知らされます。

この老人こそが、近江の地主であった比良明神で、比良明神が座っていた石は「比良明神影向石」として今も大切に守られているそうです。

参詣前に、きちんと調べてくれば良かったと後悔・・・。そうすれば、より感動が増したことと思います。

どこへ行く時も下調べの時間が足りず、何だか損をしているなぁと、毎回自分に呆れています。

 

春に石山寺を訪れたのは初めてですが、苔の美しさにしばしば目を奪われました。

つたない写真ではなかなか伝わらないながら、ペリドットのような優しい緑で、思わず足を止めずにはいられません。

もしかしたら私は苔マニアなのかも・・・?

こんなことを書くと、本物の苔ファンに叱られてしまいそうですね。

そう勘違いしそうになるほど、美しい春の苔でした。

 

比良明神影向石から、本堂へ向かう階段。その中ほどには竜蔵権現社があります。

私にとっては思い入れのある階段でして、今回初めて写真を撮りました。

拙著『くれなゐ君』の「石山」帖では、主人公・千早が年配の侍女を背負って上るシーンがありますが、この階段がモデルになっています。平安時代にも、きっと何らかの石段があったものと思いますので・・・。

暑い時期に上ると結構疲れますが、さすがに春は悠々と昇降できました(笑)。

 

 あて君(き)らがおろおろして申し出たが、千早は強気の笑顔で応え、聞き入れる様子もなかった。
「多分、私が一番力持ちよ。松河は私の家族なのだから、大船に乗ったつもりでいてちょうだい」
 明るく請け負って石段を一つ一つ上ってゆく。そのこめかみを汗の粒が伝い落ちた。強がってはいるが千早とて貴族の娘、それほど足腰が丈夫なはずはない。松河自身よりも装束の重みがその背に響いていることだろう。そんな素振りも見せない千早の背で、松河は声も立てずに泣いていた。

 

          『くれなゐ君』上巻/第十七帖「石山」より抜粋

 

今回で参詣記は終わるだろうと思っていたのですが、金龍竜王社のご紹介まで行き着きませんでしたね・・・。後2回くらい投稿することになりそうです。

ということで、石山寺参詣記(4)へ続きます。

 

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

石山寺参詣記 (2)

 

こんにちは、日河 翔です。

 

昨年の秋から備忘録のようなものを綴ってきましたが、更新頻度が低すぎて続けるべきか否か迷っておりました。

はてなブログをずっと書き続けておられる方は、本当にすごいと頭が下がる思いです。自分も書いてみて、その大変さがよく分かります。

毎日何かを継続しておられる方々を、心から尊敬します。

私も見習って、もうしばらく細々と書き続けてみようかと思っているところです。

せわしない毎日の中、時間の制約があるのは皆同じ。

習慣作りをするために、1日数行(絶対に書ける行数)と決めて書き始めています。

 

さて、お参りさせて頂いた石山寺の梅の盆栽から、ご紹介していきます。

満開の時期は過ぎていましたが、枝にはまだまだ花が咲き連なっていて、充分に目を楽しませてくれました。

本堂の近くに建つ蓮如堂の濡れ縁に、ずらりと並べられている梅には、それぞれ源氏物語ゆかりの名前が付けられていました。これは「石山寺 梅つくし」という催しで、2月半ばから開催されていたようです。

光源氏」、「若紫」、「女三の宮」、「薫」、「葵の上」など芸術的な盆栽が並んでいました。さすがに「末摘花」はなかったですね(笑)。

 

盆栽を鑑賞してから、三十八所権現社を参拝し、その後本堂でお参りしました。

現在の本堂は1096年に再建されたもので、国宝です。

御本尊は如意輪観世音菩薩様で、通常は拝見することのできない日本で唯一の勅封秘仏であり、33年に一度と、新天皇即位の翌年にのみ開扉されます。御厨子の前には、代わりに「御前立尊」が安置されています。

御本尊様には、天皇陛下御即位の翌年にお会いすることができました。何とか御開扉の最終日に間に合い、無事にお会いできて感無量でした。

 

久しぶりでしたので、火灯窓から「源氏の間」の写真もまた撮ってみました。

「源氏の間」は本堂の一角にある部屋で、紫式部が参篭し、源氏物語を起筆した場所と伝えられています。主に天皇、貴族、高僧の参拝・参篭に使われたようです。

 

石山寺の境内で一番好きな場所は、八大龍王社かもしれません。

東大門から無憂園のずっと奥へ行くと、なぜか懐かしいような思いのする参道が現れます。一体何かあるのだろうと、辿らずにはいられないような・・・。

鳥居の向こうには、龍穴とされる清らかな池。

その池の中島にあるお社が八大龍王社で、炎天下でも請雨法を修すれば必ず雨が降ると言われたそうです。

神秘的で、静謐に守られた清々しいお社でした。
時を忘れて立ち尽くしてしまう、そんな場所です。

 

また、月見亭の近くには、平成14年に建立された若宮社があります。

月見亭付近を通りかかった時、不思議に心惹かれ、戻ってお参りしました。
御祭神は天照大神大友皇子弘文天皇)。
壬申の乱でこの地に葬られた大友皇子を、古来より寺僧の方々が手厚く密かに供養されてきたことに、胸を打たれました。

 

もう少し載せたい写真がありますので、石山寺参詣記(3)へ続きます。

 

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

石山寺参詣記 (1)

こんにちは、日河 翔です。

もう少し更新頻度を上げねばと、うっすら決意らしき思いを抱いてからはや三ヶ月。

心の奥底では、すでに白旗を掲げているところです(笑)。

更新頻度の低いブログで申し訳ございません!

見つけて頂き、立ち寄って下さった方、本当にありがとうございます。

 

前作『くれなゐ君』のペーパーバック版を出版した後、三月初旬に滋賀県大津市石山寺へ御礼参りに行ってきました。

なぜ石山寺かというと、上巻・第十七帖「石山」で主人公らが参詣した場所であり、物語の終わりまで御本尊様との関わりを描いているためです。

初めてお参りさせて頂いたとき、ちょうど上巻第十五帖あたりを書いておりまして、せっかくご縁を頂いたからと思い、石山詣でのくだりを入れました。

当初は、上巻・第十九帖「炎上」をラストとして終わろうと考えていたのですが、何故か作品が持つエネルギーのような(?)強さに引きずられて、後半ができました。

これも、石山寺の御本尊様のお導きかもしれませんね・・・。

 

早春に石山寺へ参詣したのは、今回が初めてです。

季節が異なるためか、足を運ぶごとに境内の印象が変わり、新鮮な気持ちになりました。

本堂へ上がる石段の下に、自然の大理石でできた洞門があります。

手水場の脇にある「くぐり岩」は、天然の胎内くぐりの状態になっています。

穴をくぐると願いがかなうというパワースポットであることや、奈良時代から存在する聖域であることを執筆当時は知りませんでした・・・。

今さらですが、初めて「くぐり岩」をくぐってみました!

お願い事を念じながらくぐればよかったのでしょうが、何だか厚かましい気がしてやめました。変なところで遠慮が出てしまいます・・・。

 

本堂へと続く石段の中腹に、小さなお社があります。

恥ずかしながら、ここが龍蔵権現社だということを長い間知りませんでした。

初めて石山寺を訪ねた時、何故か強烈な印象を受けたので『くれなゐ君』作中で描きました。思わず立ち止まらずにいられないような、インパクトです。

穏やかな春にお参りしたからなのか、初めての時とは随分印象が異なります。とても不思議な思いがしました。
主人公と亡父の親友が偶然巡り会ったのは、まさにこのお社の前です。

 

季節は、梅の見頃が過ぎようとしている頃でした。

梅の名所を訪れる余裕もなく、通りすがりの庭木をちらっと拝見する程度で、今年の梅花鑑賞も終わったなと諦めていたので、石山寺で出合えた時は心弾みました!

下の写真は、硅灰石前の梅の木です。

硅灰石とは、石灰石が噴き出した花崗岩接触し、熱作用で変成したものです。この作用で通常は大理石となるようですが、石山寺のように雄大な硅灰石になるのは珍しく、国の天然記念物に指定されているそうです。

石山寺というお名前は、この硅灰石が由来になっています。

 

梅の盆栽が沢山並べられていたので、その写真もご紹介したかったのですがまた後日。

石山寺参詣記(2)へ続きます。

 

<著書のご案内>

『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

紙書籍版『くれなゐ君』の価格が6月中旬から変わります

 

こんにちは、日河 翔です。

 

先日、Amazonさんより一通のメールが届きました。

オンデマンド印刷であるペーパーバック(紙書籍)について、印刷料金の据え置きに努力してきたが、材料費と人件費の高騰に対応するため、印刷の固定費を引き上げるというものでした。

これにより、ロイヤリティ(いわゆる印税)が限りなくゼロに近くなるのかなと思っていました。

 

Kindleのシステムでは、ロイヤリティは著者がある程度自由に決めることができます。

私の場合、ペーパーバック版著書の価格を下げるため、某チョコレート1粒分ほどのぎりぎりのロイヤリティで設定していました。

 

もしかして、今回の固定費引き上げにより、最低小売価格を下回るのではないか・・・。

ちょっと嫌な予感がしてサイトの著者用ページを確認すると、やっぱり。

上巻も下巻も最低ラインを下回ってしまったので、価格を上げざるを得なくなりました。

 

大変残念なのですが、現在1100円の書籍が80円ほど高くなります。

価格の変更は、2023年6月19日までに変更しなければなりません。

もしペーパーバックをご希望の方がいらっしゃいましたら、価格が上がる前にご入手頂けましたら幸いです。

 

<著書のご案内>

『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

新撰組ゆかりの地・壬生へ

八木邸

こんにちは、日河 翔です。

京都に住んでいてもほとんど京都を知らない私ですが、今年の春は例年に比べると割と外出しました。

 

新選組結成の地・壬生を訪ねたので、そのお話を。

最後に壬生寺へ行ったのは、小学生の時でした。

当時どうやって壬生寺へ行ったか全く覚えていないのですが、阪急京都線「大宮駅」から歩くと10分程度で到着しました。

近い! 

こんなに近くにあるのなら、もっと以前に行ってみれば良かったと後悔しました。

長い間、時間に余裕のない生活を送っていたので、近くても行かなかったかもしれませんが。

小学校高学年の頃、大ファンだった新選組

当時かなり詳しかったのですが、今はおぼろげな記憶です。

傘を持たずに出かけて壬生で通り雨に遭い、どうしようかと思いましたが、程なくして止んだので助かりました。

雨上がりの壬生寺では、桜が美しい姿を見せてくれました。

風に舞う花びらを眺めていると、時が経つのを忘れます。

 

境内に鳩が集い一斉に飛び立つ様も、あの頃のまま。

壬生塚と呼ばれる池に浮かぶ島で、新選組隊士のお墓参りをしました。

新選組局長 近藤勇の胸像と遺髪塔、芹沢鴨と平山五郎(新選組屯所で暗殺された)の墓、河合耆三郎(勘定方)の墓、隊士7名の合祀墓があります。

その合祀墓には奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門(池田屋騒動で戦死)も葬られています。

 

新選組の屯所として有名な八木邸にも立ち寄りました。

一角が和菓子屋さんになってる···⁉️ 

これは八木家様が営んでおられる、京都 鶴屋 鶴寿庵です。

八木邸の拝観料にはガイドさんによるご説明、抹茶と屯所餅のセットが含まれています。

八木邸では、せわしなく花びらが舞い散って、まさに桜吹雪でした。

鶴寿庵さんの店内にも、沢山の桜の花びらが舞い込んで、とても風情がありました。

お店には新選組史跡巡りの女性たちが次々に来られていました。

 

見学の後に、抹茶とともに頂く屯所餅が美味しすぎて、お店の方の説明が全て頭から飛ぶほど。

後日分かったのですが、お餅に練り込んであるのは壬生菜でした!

ショーウィンドーに並ぶ和菓子は屯所餅に限らず、どれもすごく美味しそうでした。

新選組の羽織をモチーフにした、白と青の氷のような干菓子が涼しげで、お土産に欲しくなりました。

この干菓子も、屯所餅もオンラインショップでは扱っていないようです。

新選組史跡巡りの際には、お土産におすすめします!

因みに鶴寿庵さんでは新選組グッズも販売されており、ファン必見です。

京都の和菓子/生菓子 京都鶴屋 鶴寿庵 (kyototsuruya.co.jp)

 

壬生寺と八木邸の間に、「だんだら珈琲店」という可愛いカフェスタンドがありました。2021年7月オープンとのことで、店内は新しくておしゃれ。

香り高いコーヒーとソフトクリームを楽しめます。テイクアウトもOK!

店内には、新選組関連の書籍やポスターも。

史跡巡りで一服するには絶好のお店です。

壬生寺へ行くまでに「だんだらソフト」が目に入るので、帰りには寄らずにいられなくなります。

『誠』のクッキー付きで、ファンにはたまらないですよね。

ツイッターやインスタグラムでも発信しておられますので、その日お店が開いていることを確認してから行きましょう!

 

<著書のご案内>

『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。