ともしびの花 ~日河 翔の創作手帖~

作品のお知らせや創作活動に関すること、訪ねた寺社の紹介などを綴っています。

月輪寺登拝記(6)

月輪寺の本堂と、白い柵に囲われた「時雨桜」

こんにちは、日河 翔です。

 

昨年の春、京都の愛宕山中にある月輪寺(つきのわでら)へ登拝した際の、備忘録第六弾です。

shohikawa.hatenablog.com

 

前回の登拝記(5)では、「月輪寺まであと5分」の案内板に到達し、休憩したところまででした。

この坂を越すと道がなだらかになり、足も軽やかになりました。

参道の途中に「立入禁止」の案内があり、しばらく立ち止まってしまいましたが、今はお昼。境内に入っても大丈夫だと再度確認し、そろそろと歩いて行きました。

建物がいくつか見えてきたので、さらに安心してまた休憩。

いったい、何回休憩したら気が済むのでしょうか・・・。

 

境内にたどり着き、最初に出合えたのは「子宝もみじ」です。

眠る赤子を抱いているような、優しい姿をした紅葉は、樹齢800年とのこと。

素人が撮った写真なので、実際に目で見たままの、真の美しさをお伝えできないのが残念です。

こんなに美しい青紅葉は、初めて見ました。

秋になれば深紅に染まり、どれほど見ごたえがあることでしょう。

ぜひ皆さんにも、実物を見て頂きたいと思います。

 

宝物殿の前を通り、庫裏などを抜けると本堂に着きました。

私は毎日SNS(X)で月輪寺様の投稿を拝見しているのですが、この風景をじかに見られるなんて、本当に現実のことなのか不思議な気がしました。

たどり着けたことを本堂の御仏様に感謝し、静かで満ち足りた気配の中、何時間でも仏前に座っていられそうでした。

 

境内には、京都市天然記念物である本石楠花が咲いていました。

見頃を過ぎているとはいえ、日に透けて淡く輝き、はっとする美しさでした。

その上に枝を広げるのは、親鸞上人のお手植えと言われる、かの有名な「時雨桜」。

枝の先から落ちる、本物の涙のようなしずく。

風がそよぐたびに、葉先からさらさらとこぼれ落ちていきます。

散りゆく花びらが儚げで、時間を忘れて見入ってしまいました。

時雨桜の雫は、別れを惜しんで流す涙と伝えられますが、その桜の涙を実際に見た時、心に浮かんだのはまさに『法悦』でした。

仏法を聞いて感ずる、深い喜び。

その喜びにも似た、何か尊く温かいもの。

時雨桜の涙は、そういったものを感じさせてくれました。

 

境内には、「龍女水」と呼ばれる湧水もあります。

空也上人が観音様のお告げにより、清滝川龍神様を助けた御礼に授かった霊水です。

奇跡の湧水は、今もお寺様の命の水として大切に使われています。

蓋の上には、親子蛙さんが乗っていました。可愛い・・・!

御住職様とお話しした時に、龍女水で淹れたお茶をいただき、とても感激しました。

 

本堂脇の親鸞上人像を仰ぎ、月輪寺様が冬、SNS(X)に投稿しておられたお写真を思い出しました。確か、雪帽子の高さが35cmくらいだったような・・・。

大雪が降ると、まず愛宕山が心配です。

雪に閉ざされて、登ることも下りることもできなくなってしまいますから。

そんな厳しい環境のもと、どんな時も参拝者を見守って下さる像なのだなと、畏敬の念をもって眺めました。

親鸞上人様の背後をふと見ると、目もくらむようなエメラルドグリーンの新緑!

何の木なのか判別できませんでしたが、あまりにも圧倒されて、呆然と見とれていました。
まるで御仏様の光背そのものでした。

 

ここで、仏像・神像が大好きで各地を巡っていらっしゃる方のために、書き添えておかねばなりません。

月輪寺でお会いできる御仏像、御神像は、その方面に疎い私でも分かるほど、そうそうたる御顔ぶれ(?)です。

おそらく、お会いになった方は例外なく震えるのではないでしょうか・・・!

ここには記載しきれませんので、月輪寺様のホームページのリンクを貼らせて頂きます。

月輪寺公式HP>

 tukinowatera76.jimdofree.com

一生に一度はお目にかかりたい御仏像、御神像が、このお寺にはまつられています。

登拝の疲れも、一瞬で吹き飛びますよ!

 

宝物殿の拝観は平日で、電話での予約が必要です。

拝観できない時期がありますので、月輪寺様が毎日発信されている公式X(月輪寺【公式】(@tukinowatera76)さん / X)もあわせてご確認下さい。

 

月輪寺登拝記は、次回(7)で終了となりそうです。

ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました!

 

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

『 詩集 砂の海 』

著者の闘病期のピークであった19歳から22歳の詩を中心に、17歳から23歳頃までの作品から73編を収録しました。

生と死のはざまで見上げた空の色。
当たり前のことなど何一つないからこそ、届けたい言葉がある。

著者が紡ぐ物語の、原点とも言える詩集です。

『当時私は仏典に惹かれ、玄奘や法顕などの求法僧に共感を抱いておりました。
とりわけ、十七年にも及ぶ命がけの旅に出た三蔵法師玄奘の存在は、憧れでもありました。
玄奘が辿った中央アジアの旅路を、闘病の日々に投影していたのでしょう。
また、郷土史に心を寄せるあまり、若くして命を散らせた方々の想いに同調し、輪廻というものにとらわれていた時期であったとも言えます。
私が作ったつたない詩は、失われた小さな物語と幻のようにかすむシルクロードに、自分の困難を重ね、乗り越えてゆく強さを探し続けた歳月そのものです。

自分の詩に、人の心を慰めたり寄り添ったりする力があるとは、決して思いません。
全く同じ環境、同じ病状でない限り、本当にその人の苦しみを理解することはできないでしょう。
しかし、困難な道を一人で歩いているあなたに、これらの未熟な詩を届けたいのです。
何もできないことをもどかしく思いますが、それでも、懸命に今を生きるあなたのために、私は種をまきたい。
あなたの歩く道に、いつも野の花が咲くように――。

あなたはきっと、自分自身の「砂の海」を越えてゆける。
そう信じて、これらの詩をあなたに捧げます』

(前書きより抜粋)