ともしびの花 ~日河 翔の創作手帖~

作品のお知らせや創作活動に関すること、訪ねた寺社の紹介などを綴っています。

月輪寺登拝記(1)

 

こんにちは、日河 翔です。

 

8ヶ月も前のことで恐縮ですが、令和5年4月下旬に、鎌倉山  月輪寺(つきのわでら)へ参拝しました。

月輪寺は、京都市右京区嵯峨清滝月ノ輪町にある、天台宗の寺院です。

京都盆地の西にそそり立つ、標高924mの愛宕山。古来より、信仰の山として知られています。

その愛宕山の東方、深い山中で1500年以上、神仏習合法要を続けておられるお寺様です。

山岳寺院でもある月輪寺の標高は、560m。

平地にある寺社参拝に慣れてしまっている私には、かなりハードな道のりです。

 

4~5歳児並みの体力なのに、なぜ登拝しようと考えたのか、自分でも不思議です。

月輪寺の存在を知ったのは、令和5年2月に出版した小説『くれなゐ君』の校正作業も終盤に差しかかっていた頃でした。

当時、次の小説は、平安時代のファンタジーを続けて書き上げようと考えていました。

校正作業をしながら少しずつ資料を集めていましたが、愛宕山について勉強しようと調べていた矢先、Twitter(X)で月輪寺様の発信をお見かけしたのです。

 

月輪寺公式ホームページ ↓

tukinowatera76.jimdofree.com

 

寺院までは車道がなく、かと言ってリフトがあるわけでもなく、参拝するには登山で約2時間かかります。

月輪寺にはガスも水道もなく、風による倒木や落雷でよく停電することを知りました。

生活用水は湧き水を使っておられ、文化財保護のため火気厳禁で、氷点下でも水風呂とのこと・・・。

また、2012年の集中豪雨による土砂崩れで、境内の愛宕大権現堂は全壊となりました。

その後2018年の台風では、倒木被害で屋根が傷み、長年の酸性雨も加わって、寺内全ての屋根は穴があく被害を受けておられるようです。

 

廃仏毀釈の時代を耐え忍び、このような厳しい環境の中、1000年以上も愛宕山神仏習合法要を続けておられるお寺様です。

日本において、ここまでの環境におかれている寺院はなかなか存在しないのではないでしょうか。

愛宕山最寄りのバス亭「清滝」までの道にて、車窓より

 

令和5年1月、2月は、里でも大雪が降った年となりました。

こんなに雪が降る中、愛宕山ではどう過ごしていらっしゃるのだろうと居ても立っても居られなくなり、雪解けの頃に仏様の御供物をお送りするようになったのが、月輪寺様とのご縁のきっかけでした。

 

ただ、郵便物は1日にレターパック1通が限度です。

郵便局員の方が平日に交替で、険しい道程を登山配達して下さっています。

他の運送会社による宅配便も実施されておりません。

麓の郵便局へ、同じ日に2通のレターパックが届いた場合は、そのうちの1通は麓の倉庫止めとなり、お寺様による引き取りが数か月先になることもあります。

そのため、レターパックをお送りする場合は、Twitter(X)への投稿により、他のフォロワー様と郵送日が被らないように日程調整をする必要があります。

 

春になったら、登拝してみよう・・・。

冬の間にそんな思いをあたためていたのですが、何しろ日頃運動らしい運動をしていないものですから、勾配の急な山道を登る自信がありませんでした。

(結果的には、体力作りを全くせずに、勢いだけで登りました・・・)

 

そして3月。

『くれなゐ君』のペーパーバック版が発売開始となって、出版は一段落し、滋賀県大津市石山寺様への御礼参りも済ませ、愛宕山登拝の準備を少しずつ始めました。

準備と言っても、行程やバスの時刻表を確認したり、持参する物をリストアップするくらいですが・・・。

4月も半ばになれば山の寒さも和らいでいるのではないかと、週間天気予報をチェックし始めました。

何故かというと、雨の山道は危険なので、登拝は雨の降らない日を選ばなければならなかったからです。

 

月輪寺登拝記(2)へ続きます。

 

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

『 詩集 砂の海 』

著者の闘病期のピークであった19歳から22歳の詩を中心に、17歳から23歳頃までの作品から73編を収録しました。

生と死のはざまで見上げた空の色。
当たり前のことなど何一つないからこそ、届けたい言葉がある。

著者が紡ぐ物語の、原点とも言える詩集です。

『当時私は仏典に惹かれ、玄奘や法顕などの求法僧に共感を抱いておりました。
とりわけ、十七年にも及ぶ命がけの旅に出た三蔵法師玄奘の存在は、憧れでもありました。
玄奘が辿った中央アジアの旅路を、闘病の日々に投影していたのでしょう。
また、郷土史に心を寄せるあまり、若くして命を散らせた方々の想いに同調し、輪廻というものにとらわれていた時期であったとも言えます。
私が作ったつたない詩は、失われた小さな物語と幻のようにかすむシルクロードに、自分の困難を重ね、乗り越えてゆく強さを探し続けた歳月そのものです。

自分の詩に、人の心を慰めたり寄り添ったりする力があるとは、決して思いません。
全く同じ環境、同じ病状でない限り、本当にその人の苦しみを理解することはできないでしょう。
しかし、困難な道を一人で歩いているあなたに、これらの未熟な詩を届けたいのです。
何もできないことをもどかしく思いますが、それでも、懸命に今を生きるあなたのために、私は種をまきたい。
あなたの歩く道に、いつも野の花が咲くように――。

あなたはきっと、自分自身の「砂の海」を越えてゆける。
そう信じて、これらの詩をあなたに捧げます』

(前書きより抜粋)

詩集 砂の海

詩集 砂の海

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