ともしびの花 ~日河 翔の創作手帖~

作品のお知らせや創作活動に関すること、訪ねた寺社の紹介などを綴っています。

石山寺参詣記 (2)

 

こんにちは、日河 翔です。

 

昨年の秋から備忘録のようなものを綴ってきましたが、更新頻度が低すぎて続けるべきか否か迷っておりました。

はてなブログをずっと書き続けておられる方は、本当にすごいと頭が下がる思いです。自分も書いてみて、その大変さがよく分かります。

毎日何かを継続しておられる方々を、心から尊敬します。

私も見習って、もうしばらく細々と書き続けてみようかと思っているところです。

せわしない毎日の中、時間の制約があるのは皆同じ。

習慣作りをするために、1日数行(絶対に書ける行数)と決めて書き始めています。

 

さて、お参りさせて頂いた石山寺の梅の盆栽から、ご紹介していきます。

満開の時期は過ぎていましたが、枝にはまだまだ花が咲き連なっていて、充分に目を楽しませてくれました。

本堂の近くに建つ蓮如堂の濡れ縁に、ずらりと並べられている梅には、それぞれ源氏物語ゆかりの名前が付けられていました。これは「石山寺 梅つくし」という催しで、2月半ばから開催されていたようです。

光源氏」、「若紫」、「女三の宮」、「薫」、「葵の上」など芸術的な盆栽が並んでいました。さすがに「末摘花」はなかったですね(笑)。

 

盆栽を鑑賞してから、三十八所権現社を参拝し、その後本堂でお参りしました。

現在の本堂は1096年に再建されたもので、国宝です。

御本尊は如意輪観世音菩薩様で、通常は拝見することのできない日本で唯一の勅封秘仏であり、33年に一度と、新天皇即位の翌年にのみ開扉されます。御厨子の前には、代わりに「御前立尊」が安置されています。

御本尊様には、天皇陛下御即位の翌年にお会いすることができました。何とか御開扉の最終日に間に合い、無事にお会いできて感無量でした。

 

久しぶりでしたので、火灯窓から「源氏の間」の写真もまた撮ってみました。

「源氏の間」は本堂の一角にある部屋で、紫式部が参篭し、源氏物語を起筆した場所と伝えられています。主に天皇、貴族、高僧の参拝・参篭に使われたようです。

 

石山寺の境内で一番好きな場所は、八大龍王社かもしれません。

東大門から無憂園のずっと奥へ行くと、なぜか懐かしいような思いのする参道が現れます。一体何かあるのだろうと、辿らずにはいられないような・・・。

鳥居の向こうには、龍穴とされる清らかな池。

その池の中島にあるお社が八大龍王社で、炎天下でも請雨法を修すれば必ず雨が降ると言われたそうです。

神秘的で、静謐に守られた清々しいお社でした。
時を忘れて立ち尽くしてしまう、そんな場所です。

 

また、月見亭の近くには、平成14年に建立された若宮社があります。

月見亭付近を通りかかった時、不思議に心惹かれ、戻ってお参りしました。
御祭神は天照大神大友皇子弘文天皇)。
壬申の乱でこの地に葬られた大友皇子を、古来より寺僧の方々が手厚く密かに供養されてきたことに、胸を打たれました。

 

もう少し載せたい写真がありますので、石山寺参詣記(3)へ続きます。

 

<著書のご案内>

『 くれなゐ君 』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。