ともしびの花 ~日河 翔の創作手帖~

作品のお知らせや創作活動に関すること、訪ねた寺社の紹介などを綴っています。

【写真資料】二尊院②

二尊院の勅使門

こんにちは、日河 翔です。

嵯峨野の二尊院を訪ねた時の記事を上げてから、随分と時間が経ってしまいました。

 

『くれなゐ君』11回目の校正にかなり時間がかかってしまい、その後年末に風邪をひき・・・漸く元気になりました。

その間、少しずつ作業していた12回目の校正も終わり、1月中には出版できそうです。

振り返ってみれば、フォーマットに時間がかかり過ぎたとしか言いようがありません。

初めての出版は、そんなものかなと思います。何回か出版すれば慣れてきて、ルビの振り方にも悩まないで済むのでしょうね。

 

もう二尊院の記事第二弾も、話題的に古くなってしまったのですが、備忘録として追記しておきたいと思います。

 

常寂光寺と同様に、二尊院境内にも藤原定家の時雨亭跡がありますが、位置的には山の中腹というよりもう少し上のような・・・。実際にここで暮らしていたのなら、結構不便で大変だったのでは感じるエリアでした。

眺望がよく石のベンチまであって、心地よい風に吹かれながらしばし足を休ませることができました。定家さんが本当に住んでいたかどうかは分かりませんが、小倉山は落ち着く場所でした。

蜂に注意、といった看板が山道にかけてあったので、蜂が元気な季節に時雨亭跡を訪ねるのは遠慮しておこうと思いました。

時雨亭跡


総門付近には「四季庵」という茶屋があり、あまりにも足が疲れたので立ち寄りました。実は、小倉あん発祥の地だったのですが、それを知ったのは後日のことでした・・・。

平安時代弘法大師様が唐から小豆(小倉大納言)の種を持ち帰られました。それをこの地に住んでいた和三郎という菓子職人が栽培し、砂糖を加えて煮詰めて餡を作り、御所へ献上したのが小倉あんの始まりと言われています。

和三郎の努力で、小豆の栽培技術が洛西を中心に広がり、江戸時代にはお茶菓子など一般の人の口にも入るようになりました。

その時は小倉あんのぜんざいを、昼食(?)としてとても美味しく頂きましたが、もっと味わえば良かったと大後悔!どこへ行くにも、先に勉強してからでないと後悔に繋がるなとしみじみ感じます。
お店の方の対応も温かくて、ほんわかしました。またぜひ行きたいです。

四季庵

小倉あんのぜんざい

 

そう言えば、本堂にこんな窓がありました。思わず撮りたくなる窓ですよね。

すぐそこは小倉山です。立ち止まって暫く眺めてしまいました。

春の花が咲く頃までには、この道を駆け上がる少女の足音が聴こえるといいのですが。

心の耳を澄ませて、物語の風を待ちます。

本堂の窓から見える、小倉山への小径

年賀状では、友人知人にKindleでの出版予定をお知らせしました。

マイペースですが立ち止まることなく、元気で頑張っていますとお伝えするためです。

著者名と書名をお知らせしたところ、早速このブログを見つけて下さった方々もいらっしゃるようでした。辿り着いた当ブログが、活動しているのかしていないのか分からない、いわば虫の息レベルのもので、大変申し訳ない思いでいっぱいです。

今年はもう少し、何とかしたいなとは思っております・・・。

ブログ(ツイッターの方もそうですが)を見て下さっているのは、京都にご興味のある方だと感じておりますので、できるだけ取材に行った時の写真を掲載していくつもりです。

二作目の『桃花幻想記』以降は、しばらく「京都もの」執筆からは離れますが、気分転換を兼ねて寺社のレポートは続けようと考えております。

 

著書のご案内

『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

【写真資料】11月下旬/二尊院①

 

こんにちは、日河 翔です。

 

常寂光寺から 二尊院 はごく近いので、両寺院を訪ねる方は多いと思います。

私は野宮神社から出発し、小倉池を経て常寂光寺、二尊院の順に訪ねたのですが、別の場所を巡ってから二尊院へ来られた参拝者が、お疲れになられたようで、常寂光寺は諦めようと話しておられました。

それを聞いて、常寂光寺の美しさに打ちのめされた身としては(もったいない!)と気の毒になりました。個人的には、両方お参りになることをお薦めします。

とは言え、私も取材を主たる目的にして訪ねる時は、阪急嵐山駅からバスで直行しようと思いました。帰途、足が棒になりましたので・・・。

 

二尊院を訪れたのは初めてでしたが、本堂へ上がってから、何故か涙が出そうになって驚きました。

お参りする場所と、ご本尊様の距離が近いためでしょうか・・・本当に不思議です。

神社で涙が出てしまう経験は時々ありますが、お寺さんでは珍しく、何だかあたたかい場所だなぁとしみじみ感じてしまいました。

 

本堂の濡れ縁は、参拝者が庭を眺めながら休憩していらっしゃいますが、納経所側の濡れ縁がまた最高なのです。

御本尊に近く、御仏様と小倉山の気配を感じながら、陽だまりに包まれる至福の時間。

ああ、ここで執筆したい・・・・・・

思わず贅沢な妄想をしてしまいましたが、参拝者の方々にご迷惑をおかけしない範囲で、すみっこの方で少しだけ文章スケッチをするつもりです。

総門付近と広縁には、お花が活けてありました。お寺さんのお心遣いを感じます。

秋の花の隣に座して、ともに庭を眺めていると心が和みました。

またここで心を鎮めて、物語が息づいてゆくのを待ちたいと思います。       

 

二尊院と言えば「紅葉の馬場」ですよね。総門から西へ200mほど伸びる参道のことです。広々としているので、紅葉の見頃シーズンでも混雑して困るというわけではありません。グラデーションの美しさが目を引きます。

どこを取っても絵になる境内でした。

 

すっかり 二尊院様と常寂光寺 様のファンになってしまいました。

寒さに負けず、冬もお訪ねします!

両寺院については、まだまだ書きたいことがあるのですが、『くれなゐ君』の11回目の校正にも取りかからないといけないので、また後日にいたします。

 

 

 

著書のご案内

『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

【写真資料】11月下旬/常寂光寺②

 

こんにちは、日河 翔です。

 

常寂光寺と二尊院二尊院についてはまた別途、記載します)へ行くまでは、次の作品の舞台を嵯峨嵐山にするか高雄にするか、少し迷っていました。小倉山の規模から考えて、物語の設定に無理があるのではないかと考えたからです。

しかし小倉山の麓に行ってみて、やはりここかなと・・・。少なくとも、副主人公が住んでいたのはこのあたりだろうと納得しました。

春に一度小倉山に登ってみれば、何かが見えてくるかもしれませんね・・・あ、妄言失礼いたしました。

 

本題に戻ります。常寂光寺の境内について。

ちょうど紅葉の雨が降り始めた頃で、ささやかですが印象的な出来事がありましたので、ツイッターを引用します。

 

私は写真が趣味ではないのですが、境内には思わず撮らずにはいられない光景が広がっていました。自分が知らないだけで、世の中には息をのむような風景が、数えきれないほどあるのでしょう。

気づかなかっただけで・・・世界は、美しい。

写真家の方のお気持ちがよく分かりました。

 

物書きは、写真家さんや絵描きさんとよく似ていると思います。

目で見て、感じた美しさを形にする。

目の前に広がる風景に、そして自分の中にある心象風景に、筆という技術が追いつかないもどかしさ。

これはきっと生涯感じ続けるものなのでしょうね。

 

常寂光寺は、次回作『桃花幻想記』の参考というより、『くれなゐ君』のイメージにとても近いところでした。

魂が震えるほど美しい、真紅の木立。降りしきる紅葉で、一面紅の帳(とばり)を広げたようだ。もう二度と見ることもないと思っていた、三条邸の秋だった。 

『くれなゐ君』第三十六帖「神矢」より

 

魂が震える実在の風景・・・・・・懐かしさや神々しさ、切なさという意味では、今までに出合ったことはありますが、美しさでは常寂光寺が初めてかもしれません。

心が感じたままの美しさを、言葉で書き表せる技術が欲しいと強く願わずにはいられませんでした。

 

著書のご案内

『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

【写真資料】11月下旬/常寂光寺①

常寂光寺

こんにちは、日河 翔です。

『くれなゐ君』の方は先日、ようやく10回目の校正が終わり、後書きに日付を入れました。後は表紙の仕上がりを待ちながら、kindleに登録するまで見直しを続ける予定です。

 

京都では紅葉のピークは終わりましたが、枝にはまだかなり残っております。葉が散り敷いた様子もまた美しいものですね。

凄まじい人出を恐れて、今まで紅葉狩りに行ったことがないのですが、今年は『桃花幻想記』の下準備のため、小倉山の麓を見に行くことにしました。

 

資料用に撮影した写真をブログに載せておきますので、来年の紅葉狩りのご参考にして頂けましたら幸いです。

 

常寂光寺

▼ 

嵐山に来たら野宮神社と大井神社へお参りしなければと思っているので、今回は野宮神社から徒歩で常寂光寺へ行くことにしました。

寄り道せずに歩けば10分程度で済みますが、小倉池に立ち寄ったので(また別の記事でふれます)足の疲れが徐々に出てまいりました。

それでも常寂光寺までの道は、民家に植えられている紅葉まで眼福でして、疲れを感じさせない力があります。

常寂光寺さんへは初めてお参りするのですが、いやもう凄い人です。

参道の行列に参加して、写真を撮る順番を粛々と待ちました。

境内に植えられている木々のうち、紅葉の割合が多いためなのか、はっとするほど

美しいお寺です。京都の神社仏閣はどこもそれぞれに紅葉が美しいのでしょうが、個人的には圧倒されてしまいました。

 

【写真資料】11月上旬/嵐山の風景

天龍寺

こんにちは、日河 翔です。

 

先日所用でまた嵐山へ行きましたので、資料になるかもしれないと撮影した写真を、ブログにストックしておきます。観光に行かれる方にも、紅葉状況などご参考になればと思います。

 

<中ノ島橋>

阪急嵐山駅から渡月橋へ向かう途中の橋です。少し上流にある渡月小橋より、嵐山(地名ではなくて山の名前)が写真にしっかり収まるためか、この橋から写真を撮る方が多いです。私は写真撮影が趣味ではないので恥ずかしいくらい下手ですが、実際の景色は、思わず立ち止まるほど綺麗です。

 

 

渡月橋周辺>

この日、大堰川桂川)では七羽を超える白鷺を見かけました。どちらかというと、京都では青鷺の割合が多いと思っていたので、珍しく感じました。普段、偶々白鷺を見かけないだけかもしれませんが。(兵庫県では白鷺の方が多いような気がします)

対岸では黄金色の榎(エノキ)が一際存在感を放っています。夏には全く気がつきませんでした。一体何の木なのか分からず、後日調べて榎と判明しました。またちょくちょくこの木に会いに行こうと思います。

 

野宮神社

また参拝させて頂けて、とても嬉しいです。参拝された方は分かって頂けると思いますが、清浄な気配の中に感じる温かさ、とでも言えばよいのでしょうか・・・。

参拝者が黒木の鳥居の外まで列をなしている賑やかさにも関わらず、不思議に静かな明るさ、と表現しうる気配があります。

竹林の小径は、春・秋は特にですが、凄まじい人の多さです。写真を撮りたい方は、少し難しいかもしれません。

 

<大井神社>

今回は、川沿いの道に面した鳥居をくぐり、参道を通って参拝しました。参道の端にはレンタサイクルがずらりと並んでいたので、少し複雑な思いはしましたが、きっと私有地との境界が曖昧なのでしょう。

御本殿の隣に末社さんがありますが、御祭神が分からないのがとても残念です。

ここは何故か、親しみを覚えるような神社様です。

 

天龍寺

天龍寺様と言えば、曹源池(そうげんち)庭園と雲龍図のイメージがありますが、大方丈と小方丈からなる「方丈」という建物が異様に落ち着くのです・・・。幅広い広縁の外側には落縁があり、訪れた参拝者が座ってゆっくり庭を眺めることができます。小方丈は書院で、畳敷きなのがほっとするのでしょうか。「寝転ぶことを禁ず」という立て札があるほど、皆さんが自然にリラックスしてしまう場所なのでしょう。

春と秋の参拝者激増シーズンを外し、ひっそりとここで文章スケッチをしたいなとしみじみ思いました。冬は相当寒いかも・・・覚悟が必要です。

大方丈の襖の雲龍図は、昭和32年に物外道人によって描かれたものです。

加山又造画伯による天井の雲龍図があるのは、法堂(はっとう)になりますのでご注意下さい。この日は法堂に寄る時間がありませんでしたので、泣く泣く諦めました。

祥雲閣・甘雨亭付近のお庭も、とても趣があります。塔頭も含めて、じっくり拝観するには、半日くらいは充てたい場所です。

天龍寺直営の精進料理店「篩月(しげつ)」はとても素敵で憧れますね・・・入れる方が羨ましい(笑)。いつか行けたらいいなぁなどと、大それたことをほんの少しだけ思ってしまいました。

 

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『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

書き続けていくための信念

 

こんにちは、日河 翔です。

 

校正作業をしていると、とかく雑念が湧いてまいります。特に8回目や9回目の校正では顕著でした。今は10回目の校正作業をしていますが、少し心が落ち着いてきたような気がします。

 

9回目の校正作業中に、迷いのように脳裏をよぎった考えを、忘れないうちに書き記しておこうと思います。

 

これは物書きに限ったお話ではありませんが、「オリジナリティ」について悩まれた方も多いのではないでしょうか。

 

例えば物書きが100人いれば、100とおりの物語ができます。

ただ、私のように才能を持たない凡人ならば、物語の主筋、あるいは一つの場面、あるいは文章表現が、誰かの作品と被ることは充分に考えられます。

自分が知らないだけで、世の中には自分が書いたものと同じような作品が沢山あるかもしれません。

そんな中で、オリジナリティとは何か・・・と考えると、不安を覚えるのはきっと私だけではないでしょう。

 

それでもなお、自分にとってオリジナリティと呼べるものは何かと考えた時、思い描くのはただ一つです。

それは、「神仏の御心にかなうもの」であるかどうか自分に問うていることです。

これが揺らがない限り、その物語は自分にしか書けない。いわゆる「ぶれない」ということなのだと思います。

 

この信念は、胸の内だけに留めておくつもりでした。

宗教的なものに抵抗感を持たれる場合も多いため、なるべくなら外に出さない方がいいと思っていたからです。

しかし、ツイッターの機能を理解できておらず、あるフォローのご挨拶をリプライでお送りする時に、他の方の目にあまり触れるものではないだろうという思い込みから、つい本音が出て書いてしまいました。

それ以降、開き直ってやや(?)オープンにしています。

 

私の物語は正直、売れるものではありません。技術力、発想力のレベルが低いということもさることながら、売れるものを書かないからということです。

商業出版なら、従業員を抱える出版社に赤字を出させるわけにはいかないので、売るために必死になってしまうと思います。信念を曲げざるを得ないこともあるでしょう。

売れないけれど、それでも伝えたい灯火がある。

そんな思いを世に出すことを、Kindleをはじめとするシステムができて、許されるようになったわけです。本当にありがたいことだと思います。

 

私は弱い人間ですので、書き続けていく中で、これからも幾度となく迷い、不安を覚えて立ち止まることでしょう。その時、振り返って改めて信念を確認するため、ブログに残しておきます。

 

物語は、闇を照らす命のともしび。

 

こんにちは、日河  翔です。

 

ツイッターを始めて1ヶ月と少し、少しずつ慣れてきて1日1ツイート程度はできるようになってきました。

ただツイートが増えていくと、初心にかえりたい時、該当する自分のツイートを探すのに時間がかかります。ツイッターの機能を使いこなせていないだけなのですが・・・。

更新頻度の低いこのブログは、既にただの日記と化しているので、開き直りですが備忘録的な使い方もできますね。

初心を忘れないために、ブログ名についてここに書き記しておきたいと思います。

 

なぜ、「ともしびの花」なのか?

 

学生時代より、物語を書くということは、闇の中に灯りをともすようなものだと思っていました。

暗闇に射す一条の光ではなく、ふわっと浮かび上がるかすかな灯り。

てのひらから生まれる、小さくて頼りなげな、優しいぬくもり。

それは命の灯であり、希望のともしびです。

拙作『くれなゐ君』にも、このようなシーンが出てきますが、私の原点が表れたものです。

闇の中に一つ一つ、小さな灯りをともしていく。それが私にとって、物語を書くということなのです。

はかなく弱々しい光であったとしても、決して消えることのない希望の物語を。

この灯りを表現する力は生涯得られずに終わるかもしれないけれど、胸にしみ入るような命の美しさを、ただ謳い続けたい。そのように思っています。

 

自分がともしていく物語の軌跡を、とどめ置くところ、それがこのブログです。

 

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『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

大井神社との偶然の出会い

 

先週末、『くれなゐ君』の8回目の校正作業が終わり、今は9回目に入りました。

気になる表現だけではなく、8回目でも脱字を発見したことがショックでした。

自分一人の確認作業になると、回を重ねるごとに"こう表現しているはず”という思い込みが生まれ、客観視する力が減っていきますね。

上巻、下巻とも12万字程度の作品ですが、次回作は上下巻分けずに1冊にまとめたいと思っていますので、今よりは校正作業が早く済みそうで助かります。

 

先日、野宮神社へ参拝したことをブログに書きましたが、その帰り道、偶然小さな神社に出会いました。

嵐山へは割と行きますが観光以外の目的ですので、いつも慌ただしく、ゆっくり散策するという余裕もありません。嵐電嵐山駅の周辺は、ちょっと寄り道したくなる誘惑が多くて、観光客の皆さんを羨ましく思いつつ通り過ぎるのが常でした。

その日も野宮神社から渡月橋に向かって、寄り道するつもりもなく、足早に歩いておりました。しかし、ふと気になる小路があったのです。

この先に何があるのだろう。

普段なら、自分の知らない、良さそうなお店があるかも・・・少し小路へ入ってみようかなとは思っても、またいつか時間ができた時にと思い直して立ち去るのですが。

その日に限って、何があるのか知りたいと思い、吸い寄せられるように足を向けてしまいました。

そこに在ったのが、大井神社です。鳥居のある参道には、今まで気づきもしていませんでした。私が入った路は、参道の方ではありません。

こんな所に神社さんがある・・・と思ったきり、ただ立ち尽くしてしまいました。

どう表現すべきでしょうか、何か言いようのない不思議な気持ちになりました。

もしかしたら、お声がけ頂いたのかなと、ふと思ったり・・・

神社の所在地を調べるためにGoogle mapを確認すると、野宮神社境外摂社と記載されています。正しいかどうかは分かりませんが、境内にあるご由緒には、御社殿も野宮神社の旧社殿を移築していると記載されていますし、現在は摂社様なのかもしれません。

因みに所在地は、京都市右京区嵯峨天竜寺造路町36です。

大井神社様を訪ねることができたのも、野宮神社様のご縁なのだろうと感じ、心を込めて参拝させて頂きました。

 

この時は、次に嵐電嵐山駅付近に来たらまた参拝させて頂こうと思い、ブログに書くこともなく終わっていたのですが・・・

最近、次回作にご縁があるのかもしれないと思い始めました。

 

遅くとも年内には出版する『くれなゐ君』が、平安時代の物語であるため、その繋がりで、次回作も同じ平安時代のファンタジーを完成させようと考えていました。

私が中学生の頃に作った構想を土台とした児童文学なので、気負わずに軽やかに(?)書いていけるだろうと思ったからでもあります。

しかし、時折頭に浮かぶ物語の断片は、どうも違う・・・。

大筋は変わらないとはいえ、当初のものからあらぬ方向へ拡がっているような予感がします。

『くれなゐ君』の時もそうでした。気負わずに楽しく書いていけるシンデレラストーリーのはずが、書き始めてしばらくすると、制御できない状態になりました。

引きずられるように物語を追う、といった方が正確でしょうか。

書き手の能力不足を恥じるばかりです。

次回作も、何だか「軽やかに」書けるような気がしません。ファンタジーではありますが、結構取材が必要になりそうです。

そうなってくると、完成までに随分時間がかかりますので、二作目は資料なしで書けるものに変えて、その執筆中に三作目としての取材を行った方がいいのかもしれないと考え始めておりました。

にもかかわらず、ツイッターのプロフィールに「次回作のため、嵐山近辺をはじめ京都の古社寺を取材中」と衝動的に(?)追記してしまいました。自分でも何故だか分かりません。

これはもう観念して、二作目として準備を進めるべきかと思いました。

 

起筆のきっかけを下さった大井神社様に、感謝申し上げます。

次の小さな物語に書かせて頂く可能性もありますので、作品の中で大井神社様にお会いできることも楽しみになってきた、今日この頃です。

 

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『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

野宮神社へ行ってきました

 

8回目の校正作業は、下巻に入りました。コツコツと頑張っております。

 

先日所用で嵐山へ行ったので、この機に、かねてよりお訪ねしたかった野宮神社に、初めて参拝させて頂きました。
野宮神社は、『くれなゐ君』に千早(ちはや)の叔母として登場する皇女貴宮(あてみや)が、一年間籠って潔斎をした場所です。

 

野宮神社様のホームページより、ご由緒を引用させて頂きます。

良縁、子宝、学問の神様 野宮神社 ── 源氏物語の宮 ── (nonomiya.com)

野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。

野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、当社の場所が使用されたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされています。斎王制度は後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶しました。その後は神社として存続し、勅祭が執行されていましたが、時代の混乱の中で衰退していきました。そのため後奈良天皇中御門天皇などから大覚寺宮に綸旨が下され当社の保護に努められ、皇室からの御崇敬はまことに篤いものがありました。

黒木鳥居と小柴垣は平安の風情を現在に伝え、源氏物語謡曲野宮でも有名な当社は、嵯峨野巡りの起点として多くの方が訪れられます。えんむすびの神様、子宝安産の神様として全国から崇敬を集めています。

 

黒木の鳥居とは、樹皮のついたままの鳥居のことで、鳥居の形式としては極めて古いものです。


私が参拝した日も、修学旅行生を含め、大勢の観光客がお参りに来ていらっしゃいました。賑やかな場所ではありますが、美しい苔に覆われた境内は、明るく清浄な気配に満ちていました。まさに聖地であると感銘を受けた次第です。

写真だけではとてもお伝えしきれないのが残念です。ぜひまた参拝させて頂きたいと思います。

 

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『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

平均執筆時間のとらえ方

 

ようやく8回目の校正に入りました。我ながら何と作業が遅いのだろうと、落ち込みつつ呆れかえる毎日です。


いったい、一日にどのくらい執筆に関する作業(今は校正のみですが)をしているのか、先週記録してみました。結果、一日に平均1時間未満でした。この1時間はまとまった時間ではなく、細切れです。


もっと増やせるはずだ、毎日の工夫が足りないと己を叱咤し、半年以上試行錯誤してきましたが・・・やはり、増えない。

テレビ番組やDVDを観ているわけでも、ゲームをしているわけでも、ネットサーフィンをしているわけでもないですが、増えない。物理的な限界を感じました。


仕事が忙しく睡眠時間を削っていた頃は、風邪をひくと39度近く熱が上がることが、一年間のうちに4、5回ありました。

免疫力を維持するのは大切ですね。平均一日に5時間30分~6時間30分程度の睡眠を取ると、ほとんど風邪もひかなくなりました。
 
この1時間(未満)をどう見るか。

足りない、足りないと思っていると焦りとストレスしか生みませんが、よく考えてみれば今年の3月までは0分だったわけです。0分から60分に増えた、実に驚くべき増加です。

どんな分野においても、例え1日10分でも積み上げていけば何らかの形を成してきます。継続は力なり、と改めて肝に銘じたいと思います。


個人出版のメリットは、マイペースで執筆活動を続けていけることですね。

締切がないと甘えが出て、作業速度がさらに遅くなるという一面も、確かにあります。

しかし、完全に立ち止まらない限り、作品はいつか完成すると信じて、一歩一歩前へと書き進めていきたいと考えています。

 

<追記>

この記事を書いた後、執筆時間が平均1時間あるというのは、とても贅沢なことではないかと思いいたりました。寸暇を惜しんで頑張っている人が、世の中には大勢いらっしゃるのではないか・・・そう思うと、自分が恥ずかしいです。考え方がそもそもなっていなくて、時間の使い方が下手なだけなのだと思います。

上記では例え10分でも、と表現しましたが、もっと言えば5分でも前に進めるのに、現状に甘えていました。1分1分を大切に過ごしたいものですね!

 

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『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。