ともしびの花 ~日河 翔の創作手帖~

作品のお知らせや創作活動に関すること、訪ねた寺社の紹介などを綴っています。

桜の花舞う嵐山

春の渡月橋

こんにちは、日河 翔です。

 

このブログ(日記)は月に一度だけなのか?と自分で首を傾げるほど、更新頻度が下がっている今日この頃です。そんなことはない(と思いたい)のですが、毎日があっという間に(無為に)過ぎていきますよね・・・。

 

一ヶ月間アクセスが完全にゼロなら、ブログをお休みする期間をもっと長くしようかと、心に甘えが生じるのですが、時々覗きに来て下さる方に申し訳ないので『このブログはまだ生きていますよ』とお伝えするために、細々と更新していきたいと思います。

 

普段の生活に比べて三月・四月は割と外出したので、ブログに書きたいことは多いのですが・・・「書く」習慣は身についておりません。

ブログの良い点は、話題が季節外れでも許されるかな?と思えるところです。

Twitterで一日一投稿の習慣はできましたので、次はブログへの抵抗感を薄めることが課題です。

 

さて、今年は桜の開花が全国的にも早かったですね。

社会人になってから花見に行ったことがほとんどないので、通りかかった公園で満開の桜が見られて大満足でした。

その後、思いがけず嵐山・姫路城・壬生寺の桜を満喫することになり、自分にとっては驚きの春です。

 

記憶にある限り生まれて初めて、桜の季節に嵐山へ行きました。

大変な人混みだろうと思っていたので行く予定もなかったのですが、急に所用ができて訪ねることに。

近いのにずっと見られなかった嵐山の桜。

ようやく出合えて感慨深いです。

今年は初めての出版、清水寺・八坂庚申堂・桜の嵐山訪問・・・と初めて続きで、幸先がいいような気がします。

 

 

嵐山を訪ねたのも、今年に入ってからは初めてでした。

また大井神社様にご挨拶できて、ありがたかったです。

背中を押して頂いた作品(『桃花幻想記』)を先延ばしにしてしまい、後ろめたい思いも少々ありました。

ですが、舞台となる春の嵐山をしっかり目に焼きつけて帰ってきました。

今回自分が受け取った心象風景を、来年は活かしたいものです。

 

 

<著書のご案内>

『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

桜満開の春ですね!

 

こんにちは、日河 翔です。

 

前回投稿してから、またもや一ヶ月近く日を空けてしまいました。

随分いい加減な日記だと、自己嫌悪に陥りそうです。

 

ツイッターも1日1投稿が精一杯ですが、こちらは何とか続けております。

まず私は、何かを毎日継続するということから始めなければ・・・と思うこの頃です。

出版した方なら、SNSは宣伝活動のツールとしてお使いになっていることと思いますが、私は交流のためにツイッターを続けている少数派だったりします・・・。

140字以内のミニ日記とはいえ、続けるのはなかなか難しいことです。

はてなブログで毎日記事を書いていらっしゃる皆様は、本当に凄いと尊敬してしまいます。その継続力にあやかりたいものです。

 

実はインスタグラムも始めて、さらに自分の首を絞めております。

学生時代の先輩から助言を頂いて、取りあえず始めてはみたのですが、機能が今ひとつよく分からず、、、ただの壁打ちアカウントになりました。

ツイッターではなくインスタグラムを使っている友人知人にも、見つけて頂けるように・・・という意味で、投稿だけ続けることにしました。

 

 

さて、今年は桜の開花が早く、既に葉桜となりかけている木も見かけます。

先日清水寺で早咲きの桜を見かけましたが、それでもう今年の花見は終了かと思っていました。しかし思いがけず、通りかかった公園で満開の桜を眺めることができました。

 

桜は本当に不思議な花ですね。

毎日ツイッターで沢山の写真を拝見し、実際に自分の目でも堪能しましたが、見飽きることがありません。今年の桜は今年しか見られないですから···。

世の中にたえて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし

在原業平さんの気持ちが、すごくよく分かります。


晴天の下、雪のような花に枝をしならせる姿は、何度見ても美しいの一言に尽きます。どんな言葉も、この美しさには及ばないのではないでしょうか。

 

 

一年前の3月31日に、前職を辞しました。

育てて頂いた職場、好きだった仕事──。

不器用なりに、一生懸命仕事をしてきました。

毎年この日が来るたび、初心を忘れず日々懸命に過ごせているか自省し、前職場に感謝を捧げたいと思います。

 

また始まった新しい年度。元旦よりも気が引き締まる思いがします。

昨年とはまた違う、努力を習慣化する一年にしたいものです。

昨日より今日、今日より明日。

一歩ずつでも前へ進んでいけたらと思います。

気持ち新たに頑張ります!

 

著書のご案内

『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

ペーパーバック版『くれなゐ君』発売中!

 

こんにちは、日河 翔です。

 

先日ご案内いたしましたペーパーバック版『くれなゐ君』が、Amazon/Kindleで発売されました。

これで一段落しましたので、滋賀県大津市石山寺へようやく御礼参りができました。

拙作は石山寺様にゆかりある物語です。

主人公が参詣した時期より二週間ほど早いのですが、春に訪れるのは初めてであったため感無量でした。

石山寺参詣については、また別の記事として書きたいと思います。

(書籍を供えるのはご迷惑なので、そっと背負って一緒に参詣しました。上の写真は、拾翠園で休憩中に撮影したものです。)

 

Kindleの紙書籍は洋書のようなペーパーバックで、書店に並んでいる本とは違い、カバーとオビがありません。

オビがないのは少し淋しいので、ツイッターの固定ツイートをオビ代わりにしました。

 

 

"魂を揺さぶる美しさ"は、命の灯・・・命そのものを指しています。

いつの時代でも、精一杯生きる命は震えるほど美しい。

作品ごとにモチーフは変わっても、私が生涯追い続けるのは、この美しさなのだろうと感じています。

 

著書のご案内

『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

どうする、売れないKindle小説家。


こんにちは。タイトルどおりの売れない物書き、日河 翔です。

 

『くれなゐ君』をキンドルダイレクトパブリッシングで出版してから、一ヶ月が経ちました。

「小説」というジャンルが如何に売れないものであるか、よく分かっておりましたので、あらかじめ相当な覚悟をしておくために、出版前は様々なサイトを調べました。

私のように出版後の情報を探す方にとって、少しはお役に立てるかもしれないと思い、記事にした次第です。

 

一ヶ月を経た感想としては・・・

読んで下さるのは、ほぼ友人知人に限られるのではないでしょうか。

そして、今後その傾向に、ほとんど変化はみられないものと思われます。

キンドルアンリミテッドでは0円で読めるとはいっても、通りすがりの方が偶然読んで下さる確率は、相当低いでしょう。

タイトルを知っていて探しにいかないと、見つかりません。

調べ物をしている時は、キーワードで検索して見つけた個人出版の専門書を、購入したいと思ったこともあります。しかしそれが小説だったとしたら、見送ってしまうかもしれません。

小説というジャンルは、そもそも大変厳しいのです。

長いタイトルのライトノベルや、アダルト寄りの内容を含む小説は、また別です。

これらは、表紙の外注費用を回収できたり、副業的な収入源になるようです。

SNSやブログで影響力のある方は、「友人知人」を広く持っていらっしゃるという意味で、まだ読まれる機会が多いと思います。

 

タイトルをそこまで長くはできない。

アダルト寄りの小説は書けない。

表紙にアニメ風のイラストを使用することに、抵抗がある。(あるいは、人物のイラストは高額なので外注できない)

こういったことをお考えの、今後出版する方にアドバイスするとしたら。

  • 誰にも読まれない状態が当たり前、という認識を常に持つ。
  • たとえ開業届を税務署に提出していたとしても、あくまで趣味の一つだと思って割り切り、自分の予算の範囲内で取材し、資料を揃える。
  • 自分が何のために書いているのか、思い出してみる。

ということくらいでしょうか。希望のない内容で、本当に申し訳ございません。

 

誰にも読んで頂けなくなった時、虚しさを感じる日が来るかもしれません。

この趣味は単なる道楽にすぎない。

続けるか、やめるか。

書き続ければ、大なり小なり赤字は降り積もっていきます。

それでも続けるのか。

ここで、自分は何のために書いているのか、振り返ってみることが必要になります。

 

書くことが楽しければ、

書くことが自らの希望になっているのなら、

ぜひ続けるべきではないでしょうか。

 

私は以下の理由で書いております。

また農夫の例えを出しますと、隙あらば逃避しようとする姿勢は生涯変わらないでしょうが、おそらく最後まで彫り続けると思います。

shohikawa.hatenablog.com

 

赤字ついでに、ペーパーバック版を図書館に寄贈しようと思っております。

寄贈しても置いて頂けず、捨てられる可能性も大いにあります。

なぜ、自分の首を絞めるような真似をするのか?

それは、幼い頃母が買った、ほぼ自費出版の絵本がきっかけです。

 

地元限定かつ手売りで販売され、地元出身の人物を描いた、地元の教師が創った絵本。絵本は絶版となり、作者の先生方は他界しておられます。

美しい絵とは言いがたかったため、子供の頃はそれほど好きな本ではありませんでした。

しかしその後年月を経て、描かれた人物をモチーフにして小説を書きたいと思った時、この絵本は宝物になりました。

 

古本屋でも入手できない、貴重な絵本です。

ですが、市立図書館には今も残っています。

 

時を超えて、名も知らぬ誰かの希望になるのなら、

別の形で、また新しい命が芽吹いていくのなら、

そう思って図書館へ送り出したいと思います。

 

絵本に描かれた人物を主人公とした物語は、先の長い話にはなりますが、十年以内には出版できるのではないかと考えております。

絵本を小説化したものではなく、別物ですが。

もしその時までブログを続けておりましたら、ここで皆様にご報告させて頂きます。

 

さて。売れないKindle小説家は、これからどうするか。

答えは、果敢に「赤字街道を猛進いたします」!

 

著書のご案内

『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

ペーパーバック版『くれなゐ君』、近日発売予定!

 

こんにちは、日河 翔です。

 

昨日、著書のペーパーバック化をKindleに申請しました。

その審査が終わるまで、最大72時間かかるとのことでしたが、実際は10時間ほどで完了通知がきました。

上巻にはエラーが出ていたので、本日やり直して通知を待っているところです。

Kindleストアに「在庫あり」という表示が出るのは、この完了通知から最大5日間かかるそうです。

 

電子書籍での出版前から、ペーパーバック版を出す予定でいましたが、そもそも需要がないことは承知の上でした。

保管場所に困らない電子書籍は普及してきていますし、Kindleのペーパーバックはオンデマンドですので、印刷コストが本の価格に反映されます。

書店で売られている本に比べると、一冊が高いのです。

無名作家の高い本を、そもそも誰が買うというのでしょう?

 

友人知人にも、ペーパーバックを希望する人はいないだろうと考えていたのですが、「本棚に飾りたいから」、「電子書籍は目が疲れるから」という方もいて、少々驚いています。

とは言え、実は私も目が疲れやすく、図書館を利用している「紙の本」派だったりします。

 

一番の悩みどころは、本の価格です。

 

『くれなゐ君』は全体で20万字を超えるので、一冊の本として出版すると、価格が2000円以上になってしまいます。

学術書や専門書でもないのに、2000円を超える小説なんて、自分でも買えないと思います。

加えて、カバーもオビも付かない、洋書のようなペーパーバック。

注文を受けてから印刷するので、一冊の価格が高くなるのは当たり前なのですが・・・。

 

苦肉の策で、上巻・下巻に分けて一冊の価格を下げました。

上下巻を購入する方にとって、一冊にまとめるよりも少し割高になるのでは、という懸念もありましたが、やはり「2000円超え」への抵抗感が凄くて、、

一冊の価格を可能な限り低くするために、許される限りロイヤリティ(著者の利益)をギリギリまで削りました。

 

というわけで、一冊1100円(税込1210円)なのです。

記事のタイトルからすると、いかにも"宣伝します”的な雰囲気を感じますが、上記の値段を如何ともしがたく・・・

何だか申し訳なさすぎて、ささやくような小さな声でお知らせします。

 

自分で購入するにしても、結構イタイ価格です。

日々節約して少しずつ購入し、図書館に寄贈するつもりでいますので(置いて下さるかどうかは、各図書館の判断です)、いつかあなたの町の図書館にご縁があるかもしれませんね。

因みに、自分で購入してもAmazonランキング等には何の影響もなく、ただ自らの赤字が膨らんでいくだけなのです(笑)。

図書館寄贈の件につきましては、後日、別の記事で経緯を書いておきたいと思います。

 

著書のご案内

『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

『桃花幻想記』を延期します

 

こんにちは、日河 翔です。

 

昨日は朝からぼたん雪の舞う、冷え込んだ一日でした。

梅の花も次第に満開に近づいており、春の足音は日毎に大きくなっていますね。

 

先月を振り返ると、ツイッターでは元日に今年の抱負を書き込んでいました。


・1分1秒を大切に使う。
・『桃花幻想記』を書き上げる。
・舞は初心に帰って癖を正し、地道に努力する。

 

こう書いておきながら、『桃花幻想記』を延期しようとしております・・・。

作品に登場する寺社の名称を、全て架空の名にするか悩み始めたため、創作の順番を入れ替えることにしたのです。

 

『桃花幻想記』は原題を『幻桃幽』(げんとうゆう)といい、後に『桃花幻記』に改めましたが、陶淵明の【桃花源記】とはあまりに関わりのない内容であるため、改題しました。

【桃花源記】はユートピアの物語です。桃源郷は幻の理想郷の代名詞としても使われますね。
初めて桃源郷という言葉を知って、それをテーマにした物語『幻桃幽』の概要が現れたのは、私が13~14歳の頃でした。

 

中学生の頃に書いた粗筋とプロローグを、続きを書くわけでもないのに残していた自分は、単に整理整頓ができていないだけなのでしょう・・・。

主張することもなく静かに順番を待ち続けていた作品ですが、未だに消え残っているのには驚きます。

 

拙著『くれなゐ君』が秋を象徴するような物語だったので、二作目は春を象徴するこの物語を書き上げようと、当初は考えておりました。

ただ、日を追うごとに迷いとためらいが膨らんできたのです。

 

長い長い断筆期間を経て、再び筆を執る二作目。自分にとってリハビリともなる二作目に、神社仏閣と関わるこの物語を選んでよいのか。

たとえ実名を一切使わなかったとしても、モデルになっていることが想像できる寺社もある。念のため、事前にご了解を得ておく必要があるのではないか。

 

色々と悩み始めたので、準備期間を想定より長く取ることにしました。

その間に、作品と本当にご縁のある寺社はどこか、見えてくるのではないかと思います。


嵐山をはじめ京都を舞台にしたこの平安ファンタジーが、命を得る日を辛抱強く待ち続けてくれますように──。

 

著書のご案内

『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

雪消え残る、東山にて。

 

こんにちは、日河 翔です。

 

先日、家族に付き合って東山へ行ってきました。

この季節ですから観光客も少ないのではという予想は、見事に裏切られました。

どんなに寒くても、土曜日・日曜日はやはり混んでいます。

 

東山では、二年坂にも産寧坂にもまだ雪が残っていました。

西側の嵐山では解けていたので、気温の差に新鮮な驚きを感じます。

思わず写真を撮ってしまいました。

 

八坂の塔法観寺)の近くには、隠れ家的雰囲気の素敵なお店「八坂プリン」さんがあります。

このあたりを通るとつい、すごい引力で引き寄せられてしまいます・・・。

実は〖八坂ソーダ〗のファンでして。

最初は手提げ袋状のカップに驚きましたが、爽やかで可愛い外見の上、とても美味しいです!

”おいり”がのせられたソフトクリームも、非常に可愛らしいのですが、夏は猛スピードで溶けますのでご注意下さい。

春先か秋の終わり頃に再挑戦したいものです。。

 

著書のご案内

『くれなゐ君』

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紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

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源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

冬の二条城


こんにちは、日河 翔です。

 

先週『くれなゐ君』を出版してから慌ただしい日が続きましたが、漸く一段落しました。

長い間放置気味だった、このブログ。

自分の備忘録ではあるのですが、やはり書くことを習慣にするために、少しずつ更新していきたいと考えています。

ツイッターの投稿も最初は抵抗感がすごかったのですが、何とか慣れてきて一日に一回程度はツイートできるようになってきました。

ブログも書き続けたら、抵抗感が薄れてくるかもしれません。

 

 

先月、すごく久しぶりに元離宮二条城へ行ってきました。

ずっと以前、夏に訪ねた時は、途中で早く帰りたいと思うほど暑さに弱ってしまいました・・・。しかし冬、いいです!!じっくり見ることができました。

 

東大手門は正門にあたり、重要文化財です。築城当時は現在のように二階建でしたが、寛永行幸時に天皇を二階から見下ろさないよう一重の門に立て替えられたそうです。現存の門は1662年頃建築とのことでした。

 

二の丸御殿は国宝であり、大広間(一の間、二の間)は大政奉還が表明された場所です。さすが、、と思わず唸ってしまう内装のきらびやかさ!
狩野派の総力を結集した障壁画が、実に見事です。(大政奉還を表した実物大の人形達に、一瞬びっくりします)
黒書院の桜や梅の障壁画も必見です。写真撮影禁止なのが何とも残念です。

二条城 唐門

唐門は重要文化財で、松竹梅に鶴、唐獅子など極彩色の彫刻に彩られ豪華絢爛でした。

二の丸御殿の正門にあたります。奥に見えている二の丸御殿、中は溜め息が出るほどきらびやかで美しい空間でした。

 

二条城 での密かな楽しみは、二の丸御殿で鴬(うぐいす)張りの廊下を歩くこと。
人が歩くと鳥の鳴き声のような音がするのは、目かすがいと釘が擦れるためのようですが、ピヨピヨ鳴って可愛いのです!

思わず意味もなく廊下を行ったり来たりしてしまうのは、私だけではないはず、、

 

二の丸御殿北側にある清流園は和洋折衷庭園で、庭石や樹木は京都の豪商・角倉家の屋敷跡から譲り受けたものだそうです。
黄金色の芝生の美しさに目を奪われました。
青々と芝が広がる風景は大好きですが、冬の芝もいいものですね!

 

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『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

『くれなゐ君』上・下巻で発売しました!

こんにちは、日河 翔です。

前回記事を投稿してから、随分時間が経ってしまいました・・・。

 

大変遅くなりましたが、『くれなゐ君』上巻・下巻を漸く出版いたしました。

ひとまず電子書籍版を発売中です。

ペーパーバック版の方は、おそらく今月中にはKindleストアに表示される予定です。

発売されましたら、またこのブログでお知らせします。

 

上巻・下巻ともに、素人ならではと言えますが、物語の出だしのスピードがゆっくりです。もともと上下巻に分けて書いたものではないので、下巻のスタートは中盤にあたり、平和な雰囲気で始まります。

後半に向かって徐々に加速していくのですが、「試し読み」の部分で、読むのをやめてしまう方が多いのだろうなと思います。

この作品は、執筆していた当時の未熟さや、荒削りな情熱らしきものをそのまま残すため、敢えて書き直しませんでした。

自分の判断が正しかったのかどうか、危ぶむところですが・・・。

 

小さな灯火であるこの物語を、受け取って下さる方がいらっしゃることを、心から願っています。

 

著書のご案内

『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。

 

あなたは何のために書いていますか?


こんにちは、日河 翔です。

 

最近、「何のために(小説を)書くのか」についての記事を見かけました。

創作活動をしている方は、誰しも一度は抱く悩み、あるいは不安なのではないでしょうか。学生時代でしたら、なおさら。

楽しいか、楽しくないか。

それが創作の分かれ目、といったことが記事には書かれていました。

楽しければ書き続ける。楽しくなくなれば筆を折る。実にシンプルですね。

このような考え方ができるのは、とても幸せなことなのではないかと、ある種の眩しさを感じました。

たとえ読者が一人になっても、待っていてくれる人がいるなら、自分は書き続ける。

学生時代は、そう思っていました。

ただこれは、完全に読者がいなくなると、もう続けることができないのです。

 

それでも捨てきることができず、今に至った理由を考えてみました。

残念ながら、楽しいからというわけではありません。いつか、もっと気楽に、自分の楽しみのために書く日が来るのでしょうか・・・。今世において書くべきものを書き終えたら、そんなふうに思える日が来るのかもしれませんね。

今はただ、作品そのもののために書いている、という感覚です。

 

たとえて言うなら・・・。

あるところに、農夫がいました。

農作業の傍ら、山で拾った木切れで生活用品を作ったり、彫り物をして暮らしていました。農夫は仏師でもなければ、修行した彫刻家でもありませんでした。

ある日農夫は、部屋の片隅に無造作に置かれた、集めた木切れにふと目をやりました。何か視線らしきものを感じたからです。

何か気になる。気のせいかな。そう言えば、今年の干支はうさぎだったから、あの中の木でうさぎでも作ってみよう。

うさぎを彫ったとしても売ろうとも思わず、できあがったら村のお地蔵様の足下にでも置いてみよう・・・喜んで下さるかもしれないと考え、農夫は木切れに彫刻刀を入れました。

うさぎ・・・うさぎ。農夫はこれといって技術も持ち合わせておらず、ただ無心にうさぎを彫り出そうとしていました。

「うわぁぁぁぁ、何だこれは!」

うさぎを彫っていたつもりなのに、木の中から少し出てきたのは、荒削りの仏像か神像の一部にも見えます。

農夫は驚き、畏れ、木切れから離れました。彫り始めた木片には布をかけて見えないようにし、きっと気のせいにちがいないと呟きながら農作業に精を出しました。

うさぎのことはすっかり忘れたある日、ふと部屋の片隅を振り返りました。

何か視線らしきものを感じたからです。

何か気になる。気のせいかな。恐る恐る布を外してみると、うさぎを彫ろうとしていたのかもしれない木が出てきました。

ああそう言えば、年内にうさぎを彫っておかなくては。

農夫は再びうさぎを彫り始めました。

「うわぁぁぁぁ、何だこれは!」

またしても、うさぎではない何かが出てこようとしています。農夫は恐れおののき、木切れを遠くの山中に置いてきました。これで一安心。

気を取り直して、家にあった別の木切れでうさぎを彫り始めました。

「うわぁぁぁぁ!!」

またしても、うさぎではない何かが出てこようとしています。農夫は家にあった木片をすべて、別の山奥へ置きに行きました。そして彫刻刀さえも、床下に埋めてしまいました。

農夫は長い間逃げ回り、彫刻刀の使い方さえも忘れてしまいました。

しかしある日、道に古木が倒れているのを見たのです。農夫は自分が、倒木に呼ばれているような気がしました。

これを彫れば、きっとうさぎではないものが出てくる。それはありがたい仏像でも、神像でもない。ちゃんとした仏師が彫れば、ありがたい仏様になるのかもしれない。

でも仏師は彫り出す木を選ぶから、この倒木が選ばれることはない。

でもこの木から出ることを待っているものがある。それは、農夫自身が世に伝えたいものでも何でもない。農夫と木はまったく別のものだから。

農夫はついに観念して、錆びた彫刻刀を出し、「うさぎ」を彫り始めました。

できあがったものをお地蔵様の足下に置くと、通りかかった村人が声をかけます。

「一生懸命作ったんだねえ。それはタヌキ?ええっと・・・だるまかな?」

「たぶん、うさぎ」

農夫は笑って答えました。それは、タヌキにも、だるまにも、仏像にも見えるうさぎでした。

 

長い例えで、申し訳ございません。

木や石の中から出てくること、命を得ることを待ち続けている作品(もの)のために、観念して彫り出す。私にとって書くというのは、このような感覚に近いです。

何のために書くのか、戸惑っている方がおられたら、今書くことが楽しいと感じられなくても大丈夫とお伝えしたいです。どんなに時間がかかっても、ずっと待っているものをぜひ彫り出してあげて下さい。それは他の誰でもない、あなたを待っているからです。

 

このごろは、上記の考え方に加え、義憤に似た感情も創作の動機になることが分かりました。

歴史上不遇な扱いを受けてきた人物がいて、誰か才能のある作家に、その人物を適切に描いた小説を出して欲しいと願った場合。

誰も書いてくれず、さらに追い打ちをかけるような内容の小説が出回った場合。

もういい、自分で書く。このような気持ちになることは、人情ではないでしょうか。

あくまで例えですが、誰が書かなくても私が書く、という強い気持ちが出てくるものですね。年月が経つと、この気持ちも薄らいでくるかもしれませんので、忘れないように書き留めておきます。当ブログは、既に備忘録と化していますね(笑)。

 

著書のご案内

『くれなゐ君』

常陸宮の姫君は幼いながら、都一不器量で無教養と評判だった。

紅君(くれないぎみ)という通り名に惹かれ、元服前の少年・実孝は常陸宮邸で姫君を垣間見る。
まっすぐな姫君と、不器用な貴公子のすれ違う初恋は、都の異変とともに押し寄せた運命の渦に巻き込まれてゆく。

 

「あなたを殺しはしない、決して。この身など惜しくはないのだから」

 

二人を取り巻くのは先帝の長子・一の宮の死、短命だった斎宮、奇怪な流行り病・・・。出家を望みながらも、巫(かんなぎ)の血に目覚めていく紅君は、数奇な運命をたどり始める。

源氏物語の「末摘花」を下敷きに、一人の少女を軸として、美しい情景を交えて織りなされた平安王朝絵巻。